経済マンハッタン計画

Econospeakの5/7エントリで、バークレー・ロッサーが、経済マンハッタン計画なるものについて書いている。

それによると、事の発端は、エッジ財団*1なる組織のHPで、12月に「Can Science Help Solve the Economic Crisis?」というマニフェストがぶち上げられたことにあるらしい。発起人は以下の4人。

この動きは3/10のNYT記事ここここに翻訳がある)でも紹介されている。


マニフェストがぶち上げられたサイトでは、冒頭でこの活動の目的が以下のように宣言されている。

The economic crisis has to be stabilized immediately. This has to be carried out pragmatically, without undue ideology, and without reliance on the failed ideas and assumptions which led to the crisis. Complexity science can help here. For example, it is wrong to speak of "restoring the markets to equilibrium", because the markets have never been in equilibrium. We are already way ahead if we speak of "restoring the markets to a stable, self-organized critical state."

(拙訳)経済危機は直ちに安定化させねばならない。その安定化は、不当なイデオロギー抜きで実務的に進めねばならず、危機をもたらした誤った理念や仮定に頼ることなく進めねばならない。複雑系科学はここで役に立つ。たとえば、「市場に均衡を回復する」というのは誤った考えだ。市場が均衡にあったことなどないのだから。もし「市場を安定した自己組織的な臨界状態に戻す」という言い方ができれば、我々は既に前進したことになる。


また、このページには、エッジ財団関係者のこの活動に関する発言も併せて掲載されているが、必ずしも全員が賛意を表しているわけではない。中でもタレブとポール・ローマーはかなり痛烈に批判している。


タレブの批判は、実務家がうまくやっているところに科学者がやってくると碌なことがない、実際、今回の危機も科学がファイナンスに持ち込まれたことが原因である、どうぞ元の研究分野にお引取りください、そうでなくてもこちとら手一杯なんだ、というもの。
この批判は、ここで紹介した従前からの彼の意見の延長線上にあると言える。これについては、発起人の代表者であるマイク・ブラウンが、経済学者が忘れがちなモデルと現実の境目を明確化するのに科学は役立つ、と反論している。


ローマーは、上記の冒頭部の宣言の「経済危機」を「森林火災」に置き換えた文章を披露し、これを読んで複雑系科学だけが森林火災を防止できると思う人がいるだろうか、と皮肉っている。次いで、サンタフェ研究所を持ち出して複雑系科学者を攻撃している。曰く、シティバンクは、中南米債務危機で苦しんだ後にサンタフェ研究所を作り、金融危機に関する新たな理論的洞察をもたらすと約束した複雑系科学者を集めた。しかし彼らは、市場は自己組織的システムである、と述べること以上の進歩をもたらさなかった。そしてシティバンクはまた苦境に陥った、と。
関連する話として、ローマーは、アンドリュー・ローが議会証言で提案したような、飛行機事故などを調査する国家運輸安全委員会(NTSB)を模した資本市場安全委員会(CMSB)による金融危機の調査という構想に触れている。彼は構想には賛成するものの、その委員は現在のこの分野のエキスパートから構成されるべきで(ただし中立性を損なうような利害関係者を入れるべきではないことは認めている)、他の分野の科学者が新しいモデルを携えて乗り込んでくるような話ではない、と書いている。


「経済マンハッタン計画」のそもそもの言いだしっぺはエリック・ワインシュタインという数学者兼経済学者とのことだが、彼はこうした批判に以下のように反論している(彼はマニフェストの発起人に名を連ねなかった理由を、こうした批判を予期したためだ、と言い訳している)*2

  • ここでの議論は、経済マンハッタン計画という言葉から何を連想するか、というロールシャッハテストのようになっている。それは、ソビエトのような中央計画経済を意図しているわけではないし、サバティカルを取得した科学者が宗教的な秘密結社よろしく徒党を組んで専門外の経済でマッド・サイエンティストを演じようとしているわけでもないし、株価の動きを表す統一場の方程式を見つけようとしている秘密組織でもない。
  • 経済マンハッタン計画を思いついたのは、タレブやエマニュエル・ダーマンといった危機を予言した人々が当局の原因究明の手助けに呼ばれていないことを知ったため。それならば権力の回廊から離れた場所で、自分の無知を曝すことを恐れず、権威者の肩書きや鶴の一声に怯えることもない信頼できる科学者を集めよう、と考えた。自分の考えでは、タレブのような実務家もまさに科学者に属するので、彼の上記の批判は誤解に基づくものだ。
  • ここで問われているのは、見掛け倒しの経済理論が失敗し、その問題点を明らかにする技術が科学に存しているという状況のもとで、科学者の共同体が座して脇から野次を飛ばすだけでよいのか、という倫理的な問題だ。
  • この失敗を扱える人々を集めようとしたら、見慣れない顔も混じっているかもしれない。それだけのことだ。


経済マンハッタン計画の具体的な活動としては、今月初め、スモーリンの属するカナダ・オンタリオ州のウォータールー(ワーテルロー)大学ペリメーター理論物理学研究所で「経済危機とその経済科学における意味(The Economic Crisis and its Implications for the Science of Economics)」というセミナーが開催されたとのことだ。冒頭で触れたロッサーも、エリック・ワインシュタインに招待されて訪問したとの由。
ちなみにこのロッサーが招かれた経緯というのが面白い。経済学にゲージ不変性を持ち込むというスモーリンの考えを紹介したタイラー・コーエンの3/2Marginal Revolutionエントリに、ロッサーが例によって批判的なコメントを書き込んでいたらしい。すると当のスモーリンとワインシュタインがそのコメント欄に現れ、あれこれやり取りしているうちに、今度こういうものをやるから是非いらしてください、と招待したとのこと。


ロッサーはEconospeakのエントリでその訪問記を書いているが、そこでの見聞のお蔭でゲージ不変性に関する批判的な見方を和らげたと書いている。また、最後には、様々なアイディアがぶつかり合うのが見られ、自分が出席した最も刺激的なコンファレンスの一つ、と評しており、かなり感化されたようにも見受けられる。

そうしたコンファレンスの性格も反映してか、訪問記の内容自体はやや雑然としている。ただ、その中でも、エージェントモデルが非均衡経済システムをモデル化するのに優れており、現在のDSGEの少なくとも補完の役割を果たすのではないか、という考えがロッサーの興味を惹いたようである。その発表の場には、計算可能な一般均衡モデルで有名なジョン・ウォーリもいたが、特に意見を述べることもなく、名札すら付けていなかったことをロッサーは残念がっている。


まあ、日本人からするとマンハッタン計画というネーミング自体に抵抗を覚える人も少なくないのではないか、という気が個人的にしなくもない。名前はともかく、経済に関して何か新しい知見が生まれればそれに越したことはない、とは思うが…。

*1:恒例の年頭質問で有名らしい。

*2:なお、この経済マンハッタン計画についての話の途中で突然現在の銀行救済策への批判を始め、米市民が強制的に国家的ヘッジファンドに参加させられているようなものだ、ということも述べている。