モンスターズ・インクはどうして生まれたか?

ジェームズ・スロウィッキーが、金融業界はどうして巨大化したのか、について書いている


その冒頭で彼は、2008年に16年ぶりに金融セクターのGDP比率が減少したことを取り上げ、これは「静かなクーデター」を書いたサイモン・ジョンソンのように金融業の肥大化を憂う人間にとって良いニュースかもしれないが、金融セクターの規模を適正化するには、まず、そもそもなぜここまで金融業界が巨大化したのかを理解せねばならない、と釘をさしている。


彼は、金融業界が巨大化したのはあくまでも経済の変化がそれを求めたからであって、その逆ではない、と主張する。そして、もし1950年代の銀行業が退屈で規模が小さかった時代に戻りたいのであれば、経済もその時代に戻らなければならない、しかしその時代の経済は大企業が支配する退屈なものだったのだ、と述べている。

その退屈な時代が終わりを告げたのは、一つには70年代に大企業が躓き始めたこと、もう一つはITをはじめとする技術の発展にあった。そうした変化を背景に新興企業が次々と現れたが、そうした企業は、自己資金で賄った大企業と異なり、外部の資金を必要とした。金融業界はそれに応じて大きくなったのだ、というのがスロウィッキーの見解である。


スロウィッキーが引用するニューヨーク大学のトーマス・フィリッポンによると、そうした変化は、過去に3回あったという*1。最初は、19世紀末のJPモルガンがUSスティールやインターナショナル・ハーベスターといった産業界の巨人の誕生を資金面で支えた時代である。2回目は、1920年代の電化が製造業を変え、今日の消費経済が確立された時代である。そして3回目が、IT革命の時代ということになる。いずれの変化も、新事業の資金調達の必要を生じせしめ、金融業界のサイズを大きくした。だが、それは銀行家が変わったためではなく、世界が変わったためであった。


しかし、過去10年の住宅バブルにはそれは当てはまらない、とスロウィッキーは言う。そのバブルは、実体経済の意味のある変化に基づいていたわけではない。従って、その過程で生じた金融業界の肥大化は是正せねばならない、とスロウィッキーも認める。彼は、具体的なベンチマークとして、金融業界は1996年の時の規模に戻るべき、というフィリッポンの言葉を引用している。そして最後には、こうした信用バブルが起こらないような対策を講じて、金融業界を(バブル時のように自ら実体経済を作ろうとするのではなく)実体経済に反応する業界に戻す努力をすべき、と締めくくっている。


このスロウィッキーの記事に反発を示したのがAngry Bearのロバート・ワルドマンである。例によって長々と書いているが、その批判のポイントは、銀行業界の規模が大きくなったことが本当に実体経済の変化を反映したものなのか、その定量的な因果関係が示されていない、という点にある(ただし彼はフィリッポンの原論文を読んでいないことを認めている)。スロウィッキー=フィリッポンのいわゆる実体経済を反映した金融業の規模の拡大においても、非効率性や搾取的な要因で増大した面が大きいのではないか、とワルドマンは疑問を投げ掛けている。

ただ、フィリッポンのNYUのHPにある問題の論文そのプレゼン資料を見ると、一応モデルのカリブレーションと現実との比較をやっているようなので、このワルドマンの批判はやや勇み足という気もする*2

*1:ちなみにクルーグマン4/10のop-ed(邦訳はここここ)でフィリッポンの別の論文(共著)を取り上げている。

*2:なお、ワルドマンは1960年代の経済発展の時期に金融業界の規模がそれほど拡大しなかったことも指摘しているが、これについてはクルーグマンも先のop-edで「Strange to say, this era of boring banking was also an era of spectacular economic progress for most Americans.」と同様の指摘をしている。とはいえ、スロウィッキーに言わせれば、この時代は大企業が支配した時代なので、そうした経済発展が常に望ましいとは限らないし、また望んだとしても常に得られるとは限らないだろう。クルーグマン自身、この小論で、大企業による経済発展が永遠に続くとかつて錯覚していた、とガルブレイスのことを批判している(ちなみにこの小論の主眼は当時流行ったニューエコノミーへの批判で、現在もてはやされている企業経済の形態が将来も続く、と考える愚かさの例としてガルブレイスが引き合いに出されている)。