バローはバーローか?

ロバート・バローが財政刺激策反対派として参戦し、様々な反応を引き起こしている。


日本のブログでは、night_in_tunisiaさんがいち早く内容を紹介しているが、そのあまりにもシカゴ学派的な論理に疑問を呈している。また、ARNさんも同様に「受け入れがたい」という感想を述べている。


タイラー・コーエンは、このエントリでバロー記事を紹介しているが、そのついでに、面白い論文を見つけた、と小野善康論文も紹介している*1


バローのハーバードの同僚であるマンキューは、(先達てのクルーグマン等の“リンク厨”批判にも関わらず)論評抜きで紹介している。同エントリの追記では、クルーグマンのバロー批判、およびコーエンのバロー弁護にも触れている。


クルーグマンのバロー批判については、やはりnight_in_tunisiaさんが紹介しているが、ただ、実はそこで取り上げられたのはバロー批判の第二弾である。第一弾では、あろうことかバロー(をはじめとするシカゴ学派学者)の議論をboneheadedと呼んでいる。日本語で言えば、間抜け、ないしバカヤロー(バーロー)呼ばわりしたようなものである*2
クルーグマンの批判のポイントは、バローが第二次世界大戦のデータから財政支出の乗数を推計した点にある。彼が以前指摘したように、配給制という状況下において推計した乗数を、現在の状況に当てはめるのはおかしい、というわけだ。また、追記では、ケインズを批判するならば、賃金下落が雇用拡大に結びつかないことをケインズが丸々一章かけて説明したことを知っておくべきだ、となじっている*3。さらに、バローの金融緩和論に対し、現在の金融緩和が限界に達したことを知らないのか、という批判も投げ掛けている。


これに対しコーエンは、財政刺激賛成派が、反対派の効果が無いという証拠を批判するならば、逆に効果があるという証拠を出してみろ、と反発している*4。同時に、クルーグマンのboneheadedという言葉は行き過ぎ、というようなことも書いている。
コーエンはまた、第二次世界大戦完全雇用の状態で始まったわけではないことも指摘している。そもそもクルーグマン自身が、大恐慌を最終的に終わらせたのは第二次世界大戦だと書いているではないか、とも指摘している。


その意味では、(コーエンがそのエントリの冒頭で取り上げた)マシュー・イグレシアスのブログエントリが、クルーグマンよりもバローに対する的確な反論になっているかもしれない。イグレシアスが指摘したのは、財政刺激があまりに巨大だと、効用逓減が発生するのではないか、という点である。景気回復という面からすると、遊休資源を使い尽くした点で財政刺激は終了すべきだが、いかんせん戦争なので、そこで止まる保証はない、というわけである。

これについては、デロングも、「テニュアを持つ大学教授 対 ジュースを箱から飲み地下室に住むバスローブを纏ったブロガー」という茶化した表現で、イグレシアスに暗黙裡に軍配を上げている。


また、このデロングブログのコメント欄での以下の指摘も重要と思われる。

As for Korea, the multiplier may be larger than calculated. A lot of this money was spent overseas. The economic effect of the Korean war was substantial in Japan. It would be interesting to aggregate the effects of Korean war spending in Japan and the US. That would give a better estimate of the multiplier effects.

Matthew Yglesias vs. Robert Barro

バローは第二次世界大戦のほか、第一次世界大戦朝鮮戦争ベトナム戦争についても乗数を推計したと書いているが、そのうち少なくとも朝鮮戦争については、他ならぬ我が日本の朝鮮特需も乗数効果に含めるべきではないか、とのことである。


なお、バロー参戦の動きに力を得たためかどうかは知らないが、マンキューが今度はバイデン副大統領に噛み付いている。曰く、バイデンは経済学者は皆公共投資が最善の策と認めていると述べたが、これだけ懐疑派がいるではないか、と。

少し前にクルーグマンは、財政刺激が不十分で効果が出ないと、懐疑派が勢いづくかもしれない、という懸念を表明していたが*5、マンキュー等の活発な動きにお蔭で、思ったより早くそうした事態が訪れることになるかもしれない。


ちなみにコーエンは、バフェットの意見が財政刺激賛成派として最も優れている、と皮肉混じりに紹介しているが、そこでバフェットは、使える武器はすべて使うべき、と述べている。以前、小生はクルーグマンの政策提言について「できることをまず全部やって景気を回復させよう、今後の予防策を考えるのはそれからだ、という主張で、現実主義者クルーグマンの面目躍如」と書いたことがあったが、このバフェットのスタンスは、それとまさに同じである。コーエンは、これが経済学の科学としての限界か、と嘆いているが…。

*1:コーエンはグーグルキャッシュにリンクしているが、それは元の大阪大学社会経済研究所の論文pdfがリンク切れしているためと思われる。ただ、SSRNでpdfが取得できる。

*2:というわけで、また親父ギャグのタイトルにしてしまいました。すみません。

*3:多分ここで取り上げた第19章のことを指しているものと思われる。

*4:これについては、昨日および一昨日のエントリで取り上げたknzn氏ならびにRowe氏によれば、証拠が無いのが証拠ということになるのだが…。

*5:スティグリッツこのインタビューで同様の懸念を表明していた。