準備金と準備預金

Baatarismさんの7/22エントリで有名ブロガーのid:fromdusktildawnさんがコメントしているが、最後の方の「準備金」をめぐる話で、fromdusktildawnさんと、ブログ主のBaatarismさんならびにitoさんの話が噛み合わなくなっている。
ふと気づいたのだが、fromdusktildawnさんは「準備金」という言葉で文字通り企業会計の準備金を指しているのに対し、Baatarismさんとitoさんは金融政策論議という文脈からして当然準備預金のことを指しているのだろうと受け止めているのではないだろうか。
つまり、Baatarismさんとitoさんは拙ブログの8/4エントリ*1で解説した信用創造のメカニズムが念頭にあるのに対し、fromdusktildawnさんはそれとは別の次元で話をされているように思われる。


準備預金の文脈で言えば、名目金利がゼロより大きい通常の状況では、銀行は、金利の付かない準備預金は最小限の所要額だけに留め、残りは多少リスクがあろうがとにかく金利を稼ぐ貸し出しなり債券運用なりコール市場等短期金融市場での運用なりに回す。そのため、前述の信用創造のメカニズムにおいて、準備預金が(現金と共に)マネーサプライにおけるいわばパン種の役割を果たすわけだ。
しかし、名目金利がゼロになると、超過準備を持っているのも短期金融市場で回すのもあまり変わらなくなり、そうした準備預金を最小限に抑えようというインセンティブは失われる。そのため、前述のメカニズムがうまく動かなくなり、貨幣乗数は縮小する*2。だから、デフレを脱却して名目金利を正常化し、そのメカニズムがまたうまく動くようにしよう、というのがこの文脈における一般的な議論の流れだと思う。Baatarismさんとitoさんは基本的にそうした議論をされているが、fromdusktildawnさんにはうまく伝わらなかったようだ。


ただ、上記は名目金利の話だが、fromdusktildawnさんのそもそもの問題意識は、実質金利と「貨幣愛」との関係のようだ。稲葉さんの8/1エントリへのコメントでは、次のようなことを書かれている。

デフレになると、利子率の非負制約から、
実質利子率が、均衡点よりも高いところで止まってしまい、
需給バランスが崩れて、投資活動が妨げられている、
だから、リフレでこれを解消するべきだ、
というロジックなら分かりやすいですが、
それは、貨幣愛の話とはまた別の話で。

これに対する端的な回答は、「いや、別の話ではなく同じ話です」ということになろう。
名目利子率が貨幣自身で計った貨幣の自己利子率であるのに対し、実質利子率はそれをモノの価値で相対化ないし基準化したものになる。従って、これが高いほど、当然(モノと比較した上での)貨幣愛は強まる*3


小飼さんもそうだが、一般に実業界で成功された方は貨幣価値を絶対化し、それで他のモノ・サービスの価値を計測することは理解されても、同時に貨幣価値も他のモノ・サービスの価値との相対関係で決まる、ということをともすれば見過ごされがちのようだ。このサイトで引用されているように「群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成しているライオンやトラやウサギやその他すべての源氏の動物たちと会い並んで、かつそれらのほかに、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているようなもの」(「資本論」)として貨幣を捉えることができるかどうかも、経済学が理解できるかどうかの一つの節目になるのかもしれない。

*1:エントリが未来日付になっているのは、こうした資料については一日一エントリにしたかったので、先取りアップロードしたため。

*2:量的金融緩和の一つの狙いは、乱暴に言ってしまえば、その貨幣乗数縮小に伴うマネーサプライへのマイナス効果を相殺するため、分母のハイパワードマネーをさらに増やす操作。ちなみにここで準備預金の時系列推移が分かる。

*3:拙ブログの7/25エントリ参照。なお、ここの(1)式と(2)式は名目ベース(貨幣価値ベース)で記述したが、実質ベース(モノの価値ベース)で記述すれば、
 貨幣の(実質)自己利子率 = l-d-a (1)'
 実物資産の(実質)自己利子率 = q-c (2)'
ということになる。