スラッファは何を見落としていたのか?

6日エントリで紹介したDavid Glasnerらの論文の直近版の公開当時、その内容を巡って、3日エントリで紹介した論文の著者であるPhilip PilkingtonとGlasnerの間で論争があった。以下は関連エントリ。


この論争で一つの焦点になったのが、スラッファの以下の文章の解釈である。

Suppose there is a change in the distribution of demand between various commodities; immediately some will rise in price, and others will fall; the market will expect that, after a certain time, the supply of the former will increase, and the supply of the latter fall, and accordingly the forward price, for the date on which equilibrium is expected to be restored, will be below the spot price in the case of the former and above it in the case of the latter; in other words, the rate of interest on the former will be higher than on the latter.
(拙訳)
様々な商品に対する需要の分布に変化があったものとしよう。ある商品の価格は直ちに上昇し、他の商品の価格は下落する。市場は、一定時間が経つと前者の供給が増加し、後者の供給が減少すると予想する。それに応じて、均衡が回復すると予測される時点に関する先物価格は、前者については現物価格を下回り、後者については上回る。換言すれば、前者の利子率は後者より高くなる。


一方、Glasner=Zimmermanは論文で以下のように書いている。

In contrast, Sraffa’s critique of the (unique) natural rate can apply only under intertemporal disequilibrium, but not under an intertemporal equilibrium in which future prices are correctly foreseen.
(拙訳)
対照的に、スラッファの(唯一の)自然利子率への批判は異時点間の不均衡においてのみ適用可能であり、将来価格が正しく見通されている異時点間の均衡下では適用できない。


Pilkingtonは、上記のスラッファの文章を論文中で引用しているにも関わらず、その5ページ後にこのような記述があるということは、著者たち(および著者たちが援用するラックマン)はスラッファの書いていることが全く読めていないことになる、と批判した。


それに対しGlasnerは、論文執筆時にスラッファのその文章をきちんと読み解かなかったことを素直に認めた。その上で、スラッファのその文章から導き出されるのは各商品の自己利子率が異なるという話であるが、その場合の自己利子率はあくまでも名目金利であり、実質金利ではない、と指摘している。


本ブログの以前のエントリで紹介したケインズの一般理論の17章の記法を用いてこのGlasnerの議論を小生なりに整理すると以下のようになる。
実物資産の収益率をq、実物資産の持ち越し費用をc、実物資産の貨幣で計った価値増加率(=インフレ率)をaとすると、
  実物資産の自己利子率 = q-c+a
となる*2
この時、qは資産ごとに異なり、例えば現物価格が1.1ドルで先物価格が1ドルならば、qは10%となる*3。しかし、インフレ率aで調整後の実質ベースでは自己利子率は均等化する、というのがGlasnerの主張である*4

*1:Pilkingtonは反論エントリを完成させるまでのつなぎとして5日エントリで紹介した論文にリンクしたコメントも寄せている。

*2:Glasnerの議論ではcは捨象されているほか、aの計測に際し貨幣ではなく実物資産のどれか一種類を基準に用いている。

*3:現物を今買って満期に先物価格で売る取引が収支トントンになるためにはその商品は10%増加する必要がある。

*4:なお、一般理論の17章では、貨幣の流動性プレミアムをl、貨幣の持ち越し費用をdとして、貨幣の自己利子率 = l-d という概念も導入している。それと実物資産の自己利子率が均等化することにより、初めて自己利子率が一意に定まる、というのがGlasnerらの論文で主張されている点であり、Pilkingtonも同様の指摘を行っている。