シェリングがコンピュータ・シミュレーションを嫌った理由

について書かれたJournal of Artificial Societies and Social Simulation(JASSS)の小論をタイラー・コーエンがリンクしている

以下はその要旨。

Today the Schelling model is a standard component in introductory courses to agent-based modelling and simulation. When Schelling presented his model in the years between 1969 and 1978, his own analysis was based on manual table top exercises. Even more, Schelling explicitly warned against using computers for the analysis of his model. That is puzzling. A resolution to that puzzle can be found in an essay that Schelling wrote as teaching material for his students. That essay is now made public by Schelling in JASSS, exactly 40 years after it was written. In his essay, Schelling gives a guided tour of a computer implementation of his model he himself implemented, despite his warnings. On this tour, though more in passing, Schelling gives hints to an extremely generalised version of his model. My article explains why we find the generalised version of Schelling's model on the tour through his computer program rather than in his published articles.
(拙訳)
今日ではエージェントベースモデルとシミュレーションの初級課程において、シェリングモデルは基本の一つとなっている。1969年から1978年に掛けてシェリングが彼のモデルを提示した時、彼自身の分析は手作業による机上のシミュレーションに基づいていた。しかもシェリングは、自身のモデルの分析に当たってコンピュータを使わないよう明確に警告を発していた。これは不思議な話である。この謎の答えは、シェリングが学生用の教材として書いたエッセイの中に見つけることができる。今回シェリングは、そのエッセイを執筆からちょうど40年目にJASSSで公開した*1。その中でシェリングは、自身が行ったコンピュータへの自モデルの取り込みを解説している。それは彼の警告に反している。その解説においてシェリングは、序でにという感が強いが、自分のモデルの非常に一般化されたバージョンを提示している。本稿では、シェリングモデルの一般化されたバージョンが、なぜ出版された論文ではなく、彼のコンピュータプログラムの解説で出てくるのか、を説明する。


本文では、コンピュータにモデルを乗せることを嫌った理由のシェリング自身による私信(2012.7.23付け)での説明として、以下の文章が引用されている。

In those days computers—at least, those I had access to—could compute outcomes but could not display the dynamics. I could run various hypotheses and examine the results, but not watch the process work. I was glad that I'd originally done it by hand, because I could see how things worked. That's why I may have advised doing it by hand on a table, at least to do it that way for a while to watch how things worked.
(拙訳)
当時のコンピュータ――少なくとも私が利用できたもの――は、結果を計算することはできたが、動学を表示することはできなかった。様々な仮説を走らせて結果を調べることはできたが、過程を観察することはできなかった。私は手作業から始めたが、それは良いことだった。どのように推移するかが観察できたからだ。それが私が、机上での手作業を勧めた理由だ。どのように推移するかを観察するために、少なくとも暫くはそうした方が良い。

聞いてみればなーんだ、というオチである。


ちなみにシェリング2006年のエッセイで次のように書いているという。

Now that computers can display all the movement in 'real time' there is, I suppose, little advantage in doing this kind of thing manually.
(拙訳)
コンピュータが「リアルタイム」ですべての動きを表示できる今となっては、こうした作業を手でやる意義はほぼ無くなったと思う。

*1:ここ