相続税は廃止すべきか?

行動経済学で有名なシカゴ大学リチャード・セイラー(Richard H. Thaler)が今月6日にNYTに相続税擁護の論説を書いたのに対し、マンキューがブログで自分がCEA委員長時代に書いた小論にリンクして反対の意思を表明している。また、Economixでケイシー・マリガンが、11/1011/19の2回に亘って反対の論陣を張っている。


セイラー論説の概要は以下の通り。

  • 相続税は、基本的に控除額と税率の2つの数字で把握できる。2001年には控除額は夫婦に対し135万ドル(単身者はその半額)、税率は55%だった。2002年から2009年に掛けて夫婦の控除額は段階的に引き上げられ、700万ドルとなった一方、税率は45%にまで引き下げられた。なお、夫婦の片方からもう片方への生前贈与は、相手が異性である限り課税されない。
  • 2010年には、同年に被相続人が死去した場合には相続税が免除されるという特別措置が取られている。
  • 来年以降については、議会には以下の3つの選択肢が与えられている。
    1. 何もしない。その場合、2001年にブッシュ政権が提出し共和党支配下の議会で定められた法案により、2001年時点の控除額と税率に戻ることになる。
    2. 2009年時点の控除額と税率を恒久化する。これはオバマ政権が望む方向。
    3. 2010年時点の措置を恒久化する。即ち、相続税を廃止する。これは共和党指導部が望む方向。
  • 相続税については2つの誤解がある:
    1. 相続税は二重課税だと言われるが、それは誤り。巨額の遺産が課税されないことが多いが、それは大部分が未実現の値上がり益(キャピタル・ゲイン)という形を取っているため。2000年の研究によると、1000万ドル以上の相続財産について、未実現値上がり益は資産の56%を占めたという。稼働中の農家や企業では、その割合はもっと大きい。もし相続税が無ければ、値上がり益に対する税金は永遠に回避できることになる。
    2. 相続税は家族経営の農家を脅かすと言われるが、それも誤り。相続税のために田畑を売らなければならないようなケースは、オバマ政権の提案する700万ドルの控除額の下では、極めて例外的なものに留まるものと思われる。
  • 最も重要なことは、相続税に伴う不確実性を無くすこと。相続税というのは、税金の中で最も前以っての対策が必要になるので、法制度を恒久的なものにするべき。また、もし相続税を継続するのであれば、控除額はインフレと連動させて、将来の議会での紛糾の種を摘んでおくべき。
  • 45%の税率は1932年以来最低ではあるが、それでもかなり高いと思われるかもしれない。しかし、700万ドルの控除額を念頭に置く必要がある。Tax Policy Centerの調査によると、2009年の実効相続税率は全体で19.4%であり、2000万ドル以上の相続財産が発生したケースに限っても22.4%に過ぎなかった。
  • 税率と控除額を共に下げれば良いと思われるかもしれないが、それは誤り。相続税の処理は非常に面倒なので、対象は少ないほど良い。控除額が700万ドルの場合、対象となるのは1000件につき3件。また、それだけ相続額が大きければ、さらなる実質控除拡大のために弁護士を雇うのも楽なはず。
  • 2010年の措置を恒久化して相続税を廃止すれば、すべての人をそうした面倒から解放できる、と思われるかもしれない。しかし、実はその逆である。というのは、2010年の措置には、130万ドル以上の相続に関しては未実現の値上がり益を申告しなければならない、という条項が盛り込まれているからである。従来の相続税では、資産の現在価値に対し課税されるため、元の価格が問題になることは無かった。ということは、例えばあなたの祖父がピカソの絵を遺して今年亡くなった場合、彼が50年前にパリでその絵を買った時の領収書が必要になる、ということだ。
  • 上下両院合同租税委員会の見積もりによると、相続税の廃止は今後10年間で5000億ドルの財政減収要因になる。オバマ政権の提案では、インフレ連動を取り込めば、その額は半分で済む。従って選択は、2500億ドルで財政赤字を減らし、教育改革を実施し、軍事支出を維持するか、それともパリス・ヒルトンのような相続人がサントロペに旅行する時にめかしこめるようにするか、ということになる。


一方、マンキューは以下の3つの側面から相続税反対論を打ち出している。

分配面
相続税擁護論者は、相続税はせいぜい上位2%の富裕層が負担するので、極めて累進的な税金だと言う。しかし、相続税被相続人だけが負担すると言うことは、社会保障負担が法律上は労使折半なので経済学的にも労使折半として扱うべき、と言うのと同じくらい誤り。経済学的には、後者は雇用者負担として扱うのが正しい。従って、相続税も相続人の負担と考えるべき。相続人もどうせ金持ちだろうと思われるかもしれないが、世代間の生涯所得の相関は0.4〜0.5で、相続財産を考慮に入れてもせいぜい0.7に達するに過ぎない。これは完全な相関とは程遠く、擁護論者の言うよりも累進性はかなり低くなる。
また、資本蓄積に与える悪影響も大きい。法人税などの企業に掛かる税金と同様、そうした負担は資本の保有者だけではなく、労働者も担うことになる。
収入面
相続税贈与税は2001年の連邦税収の1.4%を占めるに過ぎない。また、減税によって財政収支が改善することはまず無いが、相続税はその例外。たとえ改善とまで行かなくても、減収額は小さなものに留まるだろう。というのは、一つには、相続税を避けるために被相続人は子供に生前贈与を繰り返すだろうが、子供の所得は被相続人よりも通常は低いので、所得税率も低くなる。相続税を廃止すれば、そうした贈与は無くなり、その分に対し、被相続人の高い所得税率で課税できる。また、より重要なのは、前述の資本蓄積に与える悪影響が無くなること。
公平面
生涯で同じ額を稼いだ兄弟がいたとして、片方は贅沢をしてあまり貯蓄せず、もう片方は倹約をして多額の貯蓄を残したとする。後者により多く課税すべきだという社会的正義の根拠はどこにあるのか?


マリガンの論旨も資本蓄積への悪影響を重視する点で基本的にマンキューと共通しているが、傍証として、過去50年間の資本収益率が4.5〜6.0%の間で極めて安定していたことを自分の論文から引用して挙げている。この間に人口や経済規模や税制は大きく変化しているにも関わらず資本保有者へのリターンが安定していたということは、例えば資本への課税による資本規模の縮小は、資本保有者ではなく、むしろ労働者の雇用や賃金に悪影響を及ぼすことを意味している、というわけだ。
さらに彼は、直接的な税金の負担だけではなく、課税回避行動が社会に与える負担も大きい、と指摘している。それは、喩えるならば、泥棒による負担には、盗みそのものの被害負担だけではなく、防犯のための負担が含まれるのと同様、とのことである。その観点からすれば、控除額を無くして税率――これが高いことが回避行動を生み出している――を下げ、最終的にはキャピタルゲイン税と統合するのが良い、とマリガンは主張する。
また、マリガンは、セイラーがパリス・ヒルトンを持ち出したことに対し、相続税が経済効率性ではなく金持ちへの嫉妬に基づいていることには同意する、と皮肉っている。