はだかの王様の経済学

といってもこちらの本の話ではなく、Macroeconomic Advisers, LLCのJames Morley*1が書いたエッセイ「The Emperor Has No Clotheshtml)」の話。


このエッセイはデロングブログEconomist's Viewで紹介され、それを受けてクルーグマン関連エントリ(Hicksianさんの訳はこちらもしくはこちら)を書いている。デビッド・ベックワースは、経済ブロガーをディスる傲慢なFRBエコノミストのエッセイを読んだ後のちょうど良い口直しになった、と評している


また、日本語ブログでは、unrepresentative agentさんが、左右両派からのコチャラコタへの攻撃、という面白い観点から同エッセイを紹介している。そこではMorleyは左側からの攻撃として取り上げられ、以下のようにその主張がまとめられている。

Morleyは、KocherlakotaはDSGE以外のモデルは未来がないような書き方をしているが、昔ながらのLarge Scale Macroeconometric Model(以下LSMEと略す)だって捨てたもんじゃない、DSGEに比べて優れたところもたくさんある、と言っている。Morleyは、LSMEがDSGEに比べて優れている点として以下の3点を挙げている。
(1)より多くの変数を取り扱える。
(2)Steady stateの周りのdeviationではなくてレベルを取り扱うので、予測に使いやすい。
(3)理論に基づいてモデルは作られているが、理論から生じる制約をそのままモデルに入れてはいないので、柔軟である。


…まあ、Macroeconomic Advisers自体が伝統的なマクロモデルを一つの生業にしているので(cf. ここ)、このエッセイも、猫も杓子もDSGEを念仏のように唱える昨今の風潮へのその業界側からの反撃、と読めなくも無い。


なお、エッセイには本人による要約もあるので、以下にそれを訳してみる。

現代マクロ経済学が2007-2009年の大不況を予測ないし理解するのに失敗したことについて、様々なことが言われてきた。本エッセイでは、以下の問題を取り上げる。

  • 現時点において、「現代」マクロ経済学とは何を意味するのか?
  • 何がその失敗をもたらしたのか?
  • その評価を取り戻すにはどうすれば良いのか?

現代マクロ経済学は、「ルーカス批判」と呼ばれるものを指導原理としている。即ち、経済主体の予想の変化は、マクロ経済データに基づく予測や政策分析を駄目にしてしまう、という考えである。このことが、「真の構造に根ざしたパラメータ」に基づいて家計や企業の最適化を図るミクロ的な基礎を持つモデルの発展を促した。

しかし、以前の大規模な計量経済モデルが1970年代の「スタグフレーション」を予測はおろか説明さえできなかったのとまったく同様に、ルーカス批判によって誕生したミクロ的な基礎を持つ「dynamic stochastic general equilibrium」=DSGEモデルも、2007-2009年の大不況に関して失敗した。

DSGEモデルでは、マクロ経済変数の振る舞いを説明するに当たって経済的なメカニズムが果たす役割は、一般に思われているより小さい。その代わり、技術のような天下り式に与えられる要因への系列相関を伴った衝撃が、データをシミュレートするのに役立っている。即ち、帽子から兎を取り出すマジックの仕掛け(訳注:予め帽子に兎を詰め込んでおくこと)と同じで、系列相関を持った衝撃をモデルに与えておき、その結果、系列相関を持った変数が飛び出してくる、というわけだ。

DSGEモデルは近年ではかなり洗練されてきたが、大不況のような出来事に関する「説明」が、技術や労働意欲における説明不可能な変化に帰着することには変わりない。また、DSGEモデルは現実をそのまま描写しているものとして扱われるため、そこから導かれる政策への指針は、自由に見積もられるというよりは、予め仮定されているところが大きい。

DSGEが取って代わるはずの大規模なマクロ計量経済モデルについて言えば、その有用性を否定するルーカス批判は、あたかも普遍的な真実であるかのように扱われることがある。しかし、こうしたモデルによって捉えられたマクロ経済的な関係が、政策効果を予測するのに役立つほど安定したものかどうかは、すぐれて実証的な問題である。注意すべきは、こうしたマクロモデルにおける主要なパラメータの推定値が驚くほど時系列的に安定していること、ならびに、現在のそうしたモデルは、供給ショックやインフレ予想を取り込むことによって1970年代の失敗に対処している、という点である。反面、幾分皮肉なことに、DSGEモデルの「真の構造に根ざしたパラメータ」は、政策環境の変化に対しそれほど頑健でなかったようである。

現代マクロ経済学の名誉挽回のためには、政策への指針のうちどこまでが推定ではなくモデルの仮定によるものなのかを、もっと明らかにすべきである。大不況のような出来事に関する説明は、説明できない要因の帰結としてではなく、モデル上の経済のメカニズムによってなされるべきである。また、モデルの経済予測の有用性は、リアルタイムの予測成績によって評価されるべきである。特に重要なのは、マクロ経済学者は自らの分析に関して複眼的な視野を持つべきである、ということである。たとえば、大規模なマクロ計量経済モデルや、あるいはハイマン・ミンスキーのようなより物語的な手法における洞察を考慮すべきである。

*1:この人については以前ここで触れたことがある。