先進国世界の長期停滞

というNBER論文(原題は「On Secular Stagnation in the Industrialized World」)をサマーズとŁukasz Rachel(LSEBOE*1)が上げている。以下はその要旨。

We argue that the economy of the industrialized world taken as a whole is currently – and for the foreseeable future will remain – highly prone to secular stagnation. But for extraordinary fiscal policies, real interest rates would have fallen much more and be far below their current slightly negative level, current and prospective inflation would be further short of the two percent target levels and past and future economic recoveries would be even more sluggish. We start by arguing that, contrary to current practice, neutral real interest rates are best estimated for the bloc of all industrial economies given capital mobility between them and relatively limited fluctuations in their aggregated current account. We show, using standard econometric procedures and looking at direct market indicators of prospective real rates, that neutral real interest rates have declined by at least 300 basis points over the last generation. We argue that these secular movements are in larger part a reflection of changes in saving and investment propensities rather than the safety and liquidity properties of Treasury instruments. We highlight the observation that levels of government debt, the extent of pay-as-you-go old age pensions and the insurance value of government healthcare programs have all ceteris paribus operated to raise neutral real rates. Using estimates drawn from the literature, as well as two general equilibrium models emphasizing respectively life-cycle heterogeneity and individual uncertainty, we suggest that the “private sector neutral real rate” may have declined by as much as 700 basis points since the 1970s.
(拙訳)
先進国世界の経済は、現在、および予見できる将来において、全体として長期停滞に非常に陥りやすい傾向にある、と我々は論じる。異例の財政政策が無かったならば、実質金利はより低下して現在の僅かにマイナスの水準から遥かに低くなり、現在ならびに予想されるインフレ率は2%の目標水準をさらに下回り、過去と将来の経済回復はもっと緩慢なものとなっていただろう。我々はまず、先進国間の資本の移動性と、先進国の総経常収支の変動が比較的限られていることに鑑みると、中立利子率は、現行の慣行に反し、全先進国経済圏について推計した場合に最も良く推計できる、と論じる。我々は、標準的な計量経済学の手続きを用い、かつ、予想実質金利の直接的な市場指標を見ることにより、中立利子率は過去30年間に少なくとも300ベーシスポイント低下したことを示す。我々は、こうした長期の動向は、大体において、国債の安全性や流動性の特性の変化ではなく、貯蓄ならびに投資の傾向の変化を反映したものである、と論じる。我々は、政府債務の水準、賦課方式の老齢年金の範囲、および政府の医療政策の保険価値は、他の条件が等しければ、中立利子率を引き上げる方向に働いていた、という観測結果を強調する。我々は、この分野の研究から引いた推計結果と、ライフサイクルの不均一性と個人の不確実性にそれぞれ重点を置いた2つの一般均衡モデルを用いて、「民間部門の中立利子率」は1970年代以降700ベーシスポイントも低下していた、ということを示す。

*1:cf. ここで紹介した記事でGavyn Daviesが紹介した論文。

ケインズとセーの考えは近かった

という主旨の論文をAlain Béraud(セルジー・ポントワーズ大)とGuy Numa(コロラド州立大)が書いている(H/T Mostly Economics)。論文のタイトルは「Retrospectives: Lord Keynes and Mr. Say: A Proximity of Ideas」で、以下はその要旨。

Since the publication of Keynes's General Theory of Employment, Interest and Money, generations of economists have been led to believe that Say was Keynes's ultimate nemesis. By means of textual and contextual analysis, we show that Keynes and Say held similar views on several key issues, such as the possibility of aggregate-demand deficiency, the role of money in the economy, and government intervention. Our conclusion is that there are enough similarities to call into question the idea that Keynes's views were antithetical to Say's. The irony is that Keynes was not aware of these similarities. Our study sheds new light on the interpretation of Keynes's work and on his criticism of classical political economy. Moreover, it suggests that some policy implications of demand-side and supply-side frameworks overlap. Finally, the study underlines the importance of a thorough analysis of the primary sources to fully grasp the substance of Say's message.
(拙訳)
ケインズ雇用・利子および貨幣の一般理論が出版されて以降、経済学者は何世代にも亘ってセーはケインズの究極の天敵であると信ずるようになった。文書・文脈分析によって我々は、ケインズとセーは、総需要不足の可能性や経済における貨幣の役割、政府の介入といった幾つかの重要な問題について似たような考えを持っていたことを示す。我々の結論は、ケインズの考えはセーの考えと相反する、という見方に疑問を呈するだけの類似性が両者にはある、というものである。皮肉なことに、ケインズはこの類似性を知らなかった。我々の研究は、ケインズの研究ならびに古典派政治経済批判の解釈に新たな光を当てる。さらに需要側の枠組みと供給側の枠組みの政治的含意の中には重なるものもあることが示される。また本研究は、セーの言わんとする内容を完全に把握するためには一次資料を詳細に分析することが重要である、と強調する。

現代貨幣理論の解釈

日本のネット界隈では野口旭氏のニューズウィーク連載を始めとしてMMTに関する議論が続いているが、米国ではどうなっているのかとぐぐってみたところ、サンノゼ州立大のJeffrey Rogers HummelがMMTについて表題の4/1付けeconlib記事(原題は「Interpreting Modern Monetary Theory」)*1で詳細な批判を繰り広げていることに気付いた。以下にその概要をまとめてみる。

  • MMTの貨幣に対する基本的な主張は特に新しくも現代的でもない。不換紙幣の発行によって政府支出が賄えるというのはすべての経済学者が知っていたことである。MMTも、以下の3つの条件のいずれかが満たされなければ大規模な政府支出によってインフレが生じることを認識している。
    1. 経済が顕著な失業を抱えている
    2. 政府が徴税力でインフレをコントロールする
    3. 銀行システムが何らかの方法で政府の金融拡張に対応する
  • 第一の点についてMMTは、失業率が現在4%近傍にあることを受けて、職業訓練・保障政策に焦点を当てている。労働参加率の上昇による生産の増加が物価上昇を抑制する、という趣旨かと思われるが、ほぼ定常的なフィリップス曲線を仮定している。また、無業者のうち誰が政府の仕事を希望するのか、および、そういった大規模な政策が民間の労働市場をどの程度混乱させるか、といった細部について無頓着である。
  • MMTは徴税によって貨幣を経済から引き揚げられると言うが、引き揚げた貨幣を経済に再循環させないためにどのようにするか、については明らかにしていない。引き揚げた貨幣はFRB財務省の口座に積まれることになるが、過去1世紀、それによって実際にマネタリーベースが減らされたことはない。FRBのオペ等によって結局は経済に還流するのが常である。FRB財務省口座が増えた分だけFRBの資本勘定を減らす、もしくは資産側に対応項目を立てる、といった方策も考えられるが、MMTerはそうした会計的な問題を自縄自縛的な制約として一蹴しており、彼らの新たな制度的方策がどのようなものかは依然として不明である。
  • MMTは、そもそも政府が十分な額を発行しなければ民間部門は不換紙幣を使えない、と強調する。それは明らかに正しいが、上記の話とは無関係である。経済への不換紙幣の注入は大部分が過去に起きたことだからである。問題はストックではなくフローであり、一部の進歩派が提唱する大規模な政府支出がもたらすインフレを抑えるには、新たに注入されるお金を経済から引き揚げるか、新税によって賄うしかない。
  • あるいは、貨幣の量ではなく流通速度を抑えてインフレをコントロールする、ということも考えられる。それはFTPLに帰着するが、FTPLは将来の財政黒字を含意しているので、財政黒字を嫌うMMTとは相容れない。
  • 徴税ではなく国債発行によって貨幣を経済から引き揚げる、という方策も考えられるが、それも結局はFRB財務省口座に積まれることになり、恒久的に経済から引き揚げるためには上述の工夫が必要になる。また、国債発行は将来の利払いを伴う。国債を無効にしてしまう、という手も考えられるが、インフレ抑制や債務削減のためにそうした手法を提唱するMMTerはいない。そもそも彼らは政府債務の拡大が問題だとは思っていない。
  • MMTerの中にはFRB国債を全部買い上げることを提唱する者もいるが、それは利付き国債を利付き準備預金に変換するだけの事であり、そのことは提唱者も分かっている。また、それによってマネタリーベースは大きく拡大するが、それがインフレ抑制に役立つとは思えない。そもそもMMTは、以下に示すように、利付きであろうがなかろうが、マネタリーベースの増加はインフレにつながらない、と考えている。
  • 銀行によってインフレをコントロールする、というのはMMTの主張の中で最も複雑かつ分かりにくい議論である。彼らの主張に幾ばくかの信憑性を与えているのは、FRBがマネタリーベースを拡大してもインフレが亢進しなかったという実際の事例である。MMTerが認めるように、その事象には準備預金への付利が寄与しているが、ただ、MMTは、付利があろうがなかろうがマネタリーベースの増加はインフレにつながらない、と主張する。彼らの主張の裏付けとなっているのはポストケインジアン経済学である。MMTerが皆ポストケインジアンを完全に受け入れているわけではないが、貨幣流通総量が政府の裁量的管理の影響を受けずに内生的に決まる、という中心的な主張は概ね受け入れている。
  • ポストケインジアンやMMTerは、自然利子率の概念を否定している。MMTerのステファニー・ケルトンは、民間投資には金利はあまり影響せず、アニマルスピリットや利益見通しで決まる、と述べている。ポストケインジアンはまた、貯蓄も金利に対し非弾性的である、と主張する。そのため、貸出市場は予定された投資と貯蓄を均衡させることができない、と彼らは言う。従って、過小支出によって不況が引き起こされるならば、民間が無駄に積み上げた現金残高を減らして支出を増やすことができるのは政府だけ、ということになる。
  • MMTはまた、政府の財政赤字は民間の金融資産を増やす、ということを強調する。それに対し、民間同士の金融資産は、負債で相殺されるため、ネットベースではゼロとなる。民間が保有する政府債務は、財政赤字国債によって賄われないとするならば、不換紙幣だけである。財政赤字が民間部門間の金融商品クラウドアウトするとしても(ただしそうしたことはあまり起こらないとMMTは考えている)、財政赤字は全体の富の増加に寄与し、支出や実物投資の増加をもたらす。ここから、サマーズやクルーグマンのようなMMT批判者を困惑させた、財政赤字は実は金利を低下させる、という主張が出てくる。
  • 基本的にMMTは政府債務と政府貨幣を等価に扱っているため、上記の主張が出てくる。またMMTは、政府債務の規模を気に掛けることもなく、予算制約は存在しない、と主張する。さらに、FTPLやリカードの等価性が提唱するような、将来の増税予想が富の認識に与える影響も気にしない。政府債務が純資産と見做される「債券幻想」がすべてに優先する。MMTのマクロ経済理論で唯一意味のある予想は、将来の利益に関するものだけであるが、これは経済の基本的な不確実性によって誤差の大きいものとなる。MMTはまた、インフレ予想が名目金利と実質金利を分けるというフィッシャー効果の実証的重要性も疑問視し、政府は名目金利のみ重視すべき、と主張する。
  • MMTは、民間投資がアニマルスピリットによって決まるならば、銀行融資も同様である、とする。預金が銀行融資の源泉なのではなく、銀行融資が預金を創り出すのである。準備預金が銀行融資を制約することはなく、信用創造にも影響しない。そのため、マネーサプライおよびマネタリーベースの総量は内生的に決まる。
  • この話の前提になっているのは、無リスク名目金利は市場によって決まるのではなく、最終的には任意の値に決まる、という考えである。ケルトンはクルーグマンへの回答の中で「FRBは自らが望むいかなる金利政策をも追求できる」と書き、レイは、中銀は翌日物金利をゼロに維持すべき、と提言した。レイの主張に沿えば、短期国債金利はほぼゼロとなり、ベースマネーのほぼ完全な代替物となる。それによって金融政策と財政政策の差は消滅する。長期ならびに非流動的な資産や実物資産の利回りはプラスになるが、その値を決めるのは利益、将来の利益予想、流動性だけとなる。レイの言葉を借りれば、一般の「ポートフォリオ選好」に沿う形で決まることになる。
  • ただしMMTも、内生的な貨幣供給がインフレを制約する能力に限界があることを認めている。すると話は、インフレについてのMMTの第一の制約である失業の規模に舞い戻ることになる。

結論部でHummelは以下のように書いている。

There you have the topsy-turvy world of MMT. With accounting games, advocates of MMT attempt to reverse the roles of the government treasury and the central bank. They believe that the Treasury should control inflation and the Fed should finance government expenses. One of the most emphatic assertions of MMT, to quote Wray, is “taxes are not needed to ‘pay for’ government spending.” Taxes are needed only to make sure people accept fiat money and, if necessary, to keep inflation in check. And because both the treasury and central bank are government institutions, there is some truth to the idea that both institutions have dual roles. But as many others have pointed out, MMT theorists have yet to address or even consider the enormous public-choice problems that could hinder how their desired role reversal might function in practice.
Equally important, critical parts of MMT’s edifice are built on Post-Keynesian foundations. As Kelton and Wray, along with Scott Fullwiler proclaim: “We have never tried to separate our ‘MMT’ approach from the heterodox tradition we share with Post Keynesians, Institutionalists and others. We have tried to extend that tradition.” A comprehensive and extensive critique of the Post-Keynesian paradigm is beyond the scope of this article. But if you strip away Post-Keynesian precepts, much of MMT’s edifice collapses, taking down many of its policy proposals with it.
(拙訳)
これがMMTの逆しまの世界である。MMTの提唱者たちは、会計ゲームを基に、政府の財務省中央銀行の役割を逆転させようとしている。彼らは財務省がインフレをコントロールし、FRBが政府支出を賄うべき、と考えている。MMTの主張の中で最も強調されているのは、レイを引用すると「税は政府支出を『支払う』ために必要とされているのではない」ということである。税が必要とされているのは、人々が不換紙幣を受け取ることを確実にし、かつ、必要に応じてインフレを抑制するためだけである。財務省も中銀も政府機関なので、両機関ともに二重の役割がある、という考えには幾ばくかの真実がある。しかし他の多くの人々が指摘したように、MMT理論家たちは、彼らの望む役割の逆転が実際に機能する妨げになるであろう公共選択の大いなる問題を解決、あるいは少なくとも検討する必要がある。
同じくらい重要なのは、MMTの構築物の重要な部分がポストケインジアンの基礎に建てられていることである。ケルトン、レイ、そしてスコット・フルワイラーが主張するように、「『MMT』アプローチを、我々がポストケインジアンや制度学派などと共有する異端の伝統から分離しようとしたことはない。我々はその伝統を拡張しようとしたのだ。」 ポストケインジアンの枠組みを包括的かつ広範に批判することは、本稿の範囲を超える。しかし、ポストケインジアンの教えを取り払うならば、MMTの構築物のかなりの部分が崩壊し、政策提言の多くもまた崩れることになる。

*1:cf. 編集を担当したDavid Hendersonの紹介

公的債務についてより緩和的な姿勢を取ることへの批判が誤っている理由

ブランシャールとシタデルのÁngel Ubideが、ピーターソン国際経済研究所ブログの表題の7/15付けエントリ(原題は「Why Critics of a More Relaxed Attitude on Public Debt Are Wrong」)で、彼らが主張する財政赤字有用論に対する批判に反論している(H/T Economist's View) 。以下はその概要。

  • 自分たちの主張は、低金利によって公的債務の財政的・経済的費用は下がったので、必要な需要の維持や、地球温暖化対策、改革の移行コストの補填、といった経済成長に親和性の高い施策に基礎的財政赤字を用いるべし、というもの。低金利とゼロ金利下限により金融政策に制約が掛かっているので、需要と経済活動の維持のために財政政策に依存することが必要になっている。上手く設計された財政政策は中立金利の上昇に寄与し、金融政策をより効果的なものとする。
  • これに対する第一の批判は、ただでさえ政府は浪費の傾向があるのに、その主張はそれにお墨付きを与えるのではないか、というもの。確かに政府に行き過ぎを促す可能性はあり、それは良くないことである。
  • ただ、債務が破滅的ではない時に恰もそうであるかのように振る舞うのは正しくない。遅かれ早かれ政府は債務が破滅的という命題を試してみて、それが間違っていることに気付くだろう。状況に応じてアドバイスを調整するとともに、自分たちの主張の限界も指摘するのが正しい姿勢。例えば我々は、日欧は需要維持のために基礎的財政赤字を継続するべき、と主張した一方で、米国の財政赤字と公的債務の見通しは最適経路から大きく外れているので、金融刺激策の限界を睨みつつ基礎的財政赤字を緩やかに減らしていくべき、と主張した。
  • 第二の批判は第一の批判と同じ人からなされることが多かったが、今の低金利は長続きしない、というもの。しかし、実質金利の低下は金融危機に始まったわけでは無い。1980年代半ばから一貫して継続しており、人口動態といった構造的要因に因るところが大きい。金融危機が収まれば元の水準に戻るという観測もあったが、そうはならなかった。むしろFOMCや市場金利が織り込んでいる将来の金利は下方修正を繰り返している。
  • こうした低金利は政府の利払いを長期に亘って低く抑え、予期せぬ急上昇のリスクから保護する。中銀のフォワドガイダンスも金利の急上昇のリスクを減らしている。
  • とはいえ、金利上昇のリスクはある。しかし、そうしたリスクが存在するからといって、生産の低迷や高失業率と引き換えに公的債務を積極的に減らすべき、ということにはならない。あらゆる政策決定にはリスクが付き物であり、例えば銀行システムにおけるリスクを削減するために資本比率100%を要求したりしないのにはそれ相応の理由がある。
  • それよりは、金利上昇がどのようなシナリオで起こるかを考えるべき。我々の考えでは主に以下の3つのシナリオがあり得るが、いずれも良性である:
    1. 生産性成長率の持続的な上昇。この場合、経済は成長し、政府歳入も増加して、金利上昇のマイナス面を打ち消すだろう。
    2. 株式のリスクプレミアムが低下し、安全資産への需要が減少する。この場合、株価の上昇が投資と成長をもたらし、金利上昇のマイナス面を打ち消すだろう。
    3. インフレの持続的な上昇による名目金利の上昇。この場合、名目成長率も上昇し、債務の推移にさしたる影響は無いであろう。

犯罪や犯罪関連行動への中絶の影響

というNBER論文が上がっている。原題は「The Impact of Abortion on Crime and Crime-Related Behavior」で、著者はRandi Hjalmarsson(ヨーテボリ大)、Andreea Mitrut(同)、Cristian Pop-Eleches(コロンビア大)。またドノヒュー=レビットの研究関係の論文かと思ったら、対象国に意表を突かれた。以下はその要旨。

The 1966 abolition and 1989 legalization of abortion in Romania immediately doubled and decreased by about a third the number of births per month, respectively. To isolate the link between abortion access and crime while abstracting from cohort and general equilibrium effects, we compare birth month cohorts on either side of the abortion regime. For both the abolition and legalization of abortion, we find large and significant effects on the level of crime and risky-behavior related hospitalization, but an insignificant effect on crime and hospitalization rates (i.e. when normalizing by the size of the birth month cohort). In other words, the Romanian abortion reforms did affect crime, but all of the effect appears to be driven by cohort size effects rather than selection or unwantedness effects.
(拙訳)
ルーマニアにおける中絶の1966年の廃止と1989年の合法化は、直ちに、それぞれ月間出生数を倍増および約1/3減らした。コホート一般均衡の効果を排除しつつ、中絶が可能になったことと犯罪との関係を抽出するため、我々は、それぞれの中絶制度における出生月のコホートを比較した。中絶の廃止と合法化の両方について、犯罪ならびにリスクのある行動に関連した入院の水準に対する大きく有意な影響を我々は見い出した。だが、犯罪率ならびに入院率への影響(即ち、出生月コホートのサイズで基準化した場合)は非有意だった。換言すれば、ルーマニアにおける中絶制度の変更は確かに犯罪に影響を与えたが、その影響はすべてコホートの規模の効果によるものであり、選択効果ないし望ましくない出生の効果によるものではなかった。

塵と死:西アフリカのハルマッタンについての実証結果

というNBER論文が上がっている(本文も公開されている)。原題は「Dust and Death: Evidence from the West African Harmattan」で、著者はAchyuta Adhvaryu(ミシガン大)、Prashant Bharadwaj(UCサンディエゴ)、James Fenske(ウォーリック大)、Anant Nyshadham(ボストン大)、Richard Stanley(IntraHealth International*1)。
以下はその要旨。

Using two decades of data from twelve low-income countries in West Africa, we show that dust carried by harmattan trade winds increases infant and child mortality. Health investments respond to dust exposure, consistent with compensating behaviors. Despite these efforts, surviving children still exhibit negative health impacts. Our data allow us to investigate differential impacts over time and across countries. We find declining impacts over time, suggesting adaptation. Using national-level measures of macroeconomic conditions and health resources, we find suggestive evidence that both economic development and public health improvements have contributed to this adaptation, with health improvements playing a larger role.
(拙訳)
西アフリカの12の低所得国の20年のデータを用いて、我々は、ハルマッタン貿易風*2が運ぶ砂塵が、幼児や子供の死亡率を高めることを示す。補償行為と整合的な形で、砂塵に対応して健康への投資が行われている。こうした努力にも関わらず、生存した子供にはやはり健康に負の影響が見られる。我々のデータは、時間的ならびに各国間で異なる影響を調べることができる。我々は、時間を追って影響が低下することを見い出したが、これは適応が生じていることを示唆している。マクロ経済状況と健康関連リソースに関する国レベルの指標を用いて、我々は、経済の発展と公衆衛生の改善の双方がこの適応に寄与したことを示す実証結果を得た。そのうち、公衆衛生の改善の方が大きな役割を果たした。

外貨準備の通貨構成、外貨準備の需要、および世界安全資産

というNBER論文が上がっている4月時点のWP)。原題は「The Currency Composition of International Reserves, Demand for International Reserves, and Global Safe Assets」で、著者はJoshua Aizenman(南カリフォルニア大)、Yin-Wong Cheung(香港市立大)、Xingwang Qian(ニューヨーク州立大学バッファロー校)。
以下はその要旨。

This paper examines determinants of the international reserves (IR) currency composition before and after the Global Financial Crisis (GFC). Applying the annual data of 58 countries, we confirm that countries that trade more with the US, euro zone, UK, and Japan, and issue more debt denominated in the big four currencies (US dollar, euro, pound, yen) hoard more IR in these currencies. We find scale effects in which countries tend to diversify from the big four currencies as they increase their IR/GDP and that a growing shortage of global safe assets (GSAs) induces countries to hold more big four currencies. Countries hold less big four currencies as IR after the 2008 GFC, while they hold more of such currencies since the tapering of the Fed’s quantitative easing. The 2008 GFC and QE tapering weakened and sometimes reversed the effect of several economic factors. We also find that TARGET2 balances matter for the currency composition in the euro zone; commodity-exporting countries tend to diversify their IR from the big four currencies when their terms of trade improve; and that the valuation effects induced by Euro/USD exchange rate changes diminish the significance of the GFC in explaining the currency composition of IR.
(拙訳)
本稿は、世界金融危機前後の外貨準備の通貨構成の決定要因を調べる。58ヶ国の年次データから我々は、米国、ユーロ圏、英国、日本との貿易量が多く、4大通貨(米ドル、ユーロ、ポンド、円)建ての債務の発行量が多い国は、外貨準備をそれらの通貨で積み立てることを確認した。我々は、国の外貨準備ないしGDPが増えるにつれ、4大通貨からの分散化を行う傾向にある、という規模の効果を見い出した。また、世界安全資産の不足が拡大するにつれ、4大通貨の保有量の増加が促される、ということを見い出した。各国は、2008年の世界金融危機後に外貨準備としての4大通貨の保有量を減らしたが、FRB量的緩和のテーパリング以降はそれらの通貨の保有量を増やした。2008年の世界金融危機QEのテーパリングは、幾つかの経済的要因の効果を弱め、時には逆転させた。我々はまた、ユーロ圏の通貨構成においてTARGET2残高が重要であること、商品輸出国は交易条件が改善すると外貨準備を4大通貨から分散する傾向にあること、および、ユーロドル相場の変動によってもたらされた評価効果は、外貨準備の通貨構成を説明する上での世界金融危機の重要性を減じたこと、を見い出した。