コント:ポール君とグレッグ君(2010年第4弾)

今回は、第二弾と逆に、クルーグマンからマンキューへの一方通行に終わっている(…少なくとも今のところは)。

ポール君
デロング経由でグレッグ君がナローバンキングを支持していることを知った。預金に対応する資産を全て流動性の高い短期の資産にして、金融危機のリスクを未然に防ごう、というわけだ。グレッグ君がこの問題について考え抜こうとしてくれるのは僕も嬉しい。だが、その考えは2つの点で完全に間違っとるのだな、これが。一つは、もしそうしたことが可能だとしても、それは銀行のそもそもの目的を放棄したことになる。もう一つは、そうしたことは可能ではない。
グレッグ君の間違いの元は、モジリアニ=ミラーの定理を適用しようとしたことにある。財務構成は企業価値に無関係、というやつだ。しかしその定理の前提を見てみると、すべての資本資産*1が完全に流動的であることが要求されることが分かる。もちろん実際にはそんなことは成立せず、それがまさに我々が銀行を必要とする理由だ。
僕は、銀行規制の話はすべてダイアモンド=ダイビックの理論で考えるべきだと思う。その理論では、銀行は、個人が自分のお金に容易にアクセスできるようにすると同時に、そのお金の大部分を非流動性資産に投資している。これは経済がケーキを所有すると同時に食べることを可能ならしめているわけで、生産的活動と言える。長期の非流動的投資を犠牲にすることなしに流動性を供給しているわけだ。もしナローバンキングを強制したら、経済は、短期の偶発的な資金需要と、長期の資金の塩漬けに対する見返りとを仲介する有力な手段を失うことになる。
それに、そもそもどうやって強制したら良い? もちろん、預金受入金融機関を強制的にナローバンクにすることはできる。しかし、預金受入金融機関は今回の問題が起きた場所ではない。今回の危機はレポ取引が舞台となった。そして、ゲーリー・ゴートンらが言うように、多くの企業が資金を運用するオーバーナイトローンであるレポ取引の規模は、銀行預金のそれに匹敵する*2。もし預金受入金融機関がナローバンクに強制転換させられたら、資金はさらに影の銀行にシフトするだろう。ならばレポ取引を禁じるか? その先はいたちごっこが待っているのでは?
だからこそ、規制は、単純なナローバンキングよりは賢いものにする必要があるのだ。政府の保証、即ち預金保険の21世紀版と、保証を受けた金融機関がその特権を乱用しないような規制との組み合わせこそが、今もやはり進むべき道なのである。

*1:原文では単にall assetsとなっているが、意味合い的にはall capital assetsと思われるので、ここでは資本資産と訳した。

*2:Marginal Revolutionのこのエントリで紹介されているゴートンの論文の要旨には、「the repurchase agreement market in the U.S., estimated to be about $12 trillion, larger than the total assets in the U.S. banking system ($10 trillion)」という記述がある。