11Dというブログの「The Blogosphere 2.0」という今月初めのエントリが話題を集めた。内容は、ブログ主のローラ・マッケンナ氏(Laura McKenna)がブログを書き始めて6年目を迎えるにあたり、その6年間のブロゴスフィアの変化を総括してみたというもの。
彼女はその変化を以下の9項目にまとめている。
- アルファブロガー(A-List)はもはや影響力を持たなくなった
- 以前は人々は新鮮な話題を求めてアルファブロガーの記事を読んだが、今はTwitter、Facebook、Google Readerで情報を入手している。主要なジャーナリストは、今やアルファブロガーではなくニッチなブログにアクセスしている(次項参照)。
- 以前は人々は新鮮な話題を求めてアルファブロガーの記事を読んだが、今はTwitter、Facebook、Google Readerで情報を入手している。主要なジャーナリストは、今やアルファブロガーではなくニッチなブログにアクセスしている(次項参照)。
- ニッチなブログが人気
- 特別な専門知識や独特の観点を持っている人はアクセスを集めることができる。そうでない人は残念でした。
- 特別な専門知識や独特の観点を持っている人はアクセスを集めることができる。そうでない人は残念でした。
- 規範と慣例の変化
- ブロガーは以前ほど相互リンクをしなくなった。ブロガーは良いポストを探すことに疲れてしまい、良いポストが発掘されにくくなった。また、多くのブロガーがブログロールを止めた。誰を載せるかを決めるのに疲れてしまったので。
- ブロガーは以前ほど相互リンクをしなくなった。ブロガーは良いポストを探すことに疲れてしまい、良いポストが発掘されにくくなった。また、多くのブロガーがブログロールを止めた。誰を載せるかを決めるのに疲れてしまったので。
- ブロガーの燃え尽き症候群
- 多くのトップクラスのブロガーが他の職業に専念するか燃え尽きるかした。アルファブロガーのみならず、多くのブロガーが、金銭的な見返りが無いにも関わらず、1日3〜5時間をブログに費やしている。それは自ブログのポストを書いたりコメントに応えたりするだけでなく、他のブログを読んだり、他のブロガーと交流する時間も含まれる。これを長期間続けるのは難しい。配偶者も嫌がるだろう。
- 多くのトップクラスのブロガーが他の職業に専念するか燃え尽きるかした。アルファブロガーのみならず、多くのブロガーが、金銭的な見返りが無いにも関わらず、1日3〜5時間をブログに費やしている。それは自ブログのポストを書いたりコメントに応えたりするだけでなく、他のブログを読んだり、他のブロガーと交流する時間も含まれる。これを長期間続けるのは難しい。配偶者も嫌がるだろう。
- 読者の燃え尽き症候群
- 理由は分からないが、人々は以前ほどリンクをクリックしなくなった。経験から言っても、かつては大物ブロガーにリンクされると午後には10,000の新しい読者のアクセスがあったが、今やその数字は数百に減ってしまった。読者も新しいものを読むのに飽きたか、これまであまりにもくだらないところに飛ばされすぎたのだろう。
- 理由は分からないが、人々は以前ほどリンクをクリックしなくなった。経験から言っても、かつては大物ブロガーにリンクされると午後には10,000の新しい読者のアクセスがあったが、今やその数字は数百に減ってしまった。読者も新しいものを読むのに飽きたか、これまであまりにもくだらないところに飛ばされすぎたのだろう。
- 大手メディアも飽きた
- ハッフィントンポスト
- が読者を吸い上げてしまった。しかし彼らは他のブログにリンクしないなど、従来のブロゴスフィアを形造ってきた規範に従っていない。
- が読者を吸い上げてしまった。しかし彼らは他のブログにリンクしないなど、従来のブロゴスフィアを形造ってきた規範に従っていない。
- TwitterとFacebook
- 説明不要でしょう。
- 説明不要でしょう。
- リンク監視機能の低下
- 過去にはどのブログがリンクしたか容易に分かったが、Google BlogとTechnoratiは小さなブログを拾わないので、今や誰がリンクしているのか良く分からない。
このように彼女は、ブログを巡る状況が基本的に以前より悪くなった、という見方をしている。マシュー・イグレシアスもその見方に同調し、今のより専門化されかつ組織化されたブロゴスフィアにも良い面はあるものの、以前とは別物になっており、悪化した点が多い、と述べている。
一方、タイラー・コーエンは、自身のお気に入りのブログで停止したものは驚くほど少ないし、サムナーのような新規参入もあるので、自分はより楽観的な見方をしている、と述べている。
また、バークレー・ロッサーは、かつてブログがそれまでの個人のHPを席巻したように、今度はTwitterとFacebookがブログを席巻するのではないか、という見通しを述べると同時に、新聞の将来にも触れ、人々が最終的にニュースの証拠として頼るのは紙の新聞なので、それは無くすべきではない、とも述べている。