バーナンキは金本位制の問題点を分かっていない・続き

24日エントリではDavid Glasnerのバーナンキへの物言いを紹介したが、そこでGlasnerは、金本位制に対する独自の解釈を展開した。それに対しコメント欄で幾つか批判が付いたが、それらのコメントにGlasnerはきちんと反論しているので、今日はその反論の概要を紹介してみる。

  • 金本位制を金準備の話と分離するのは、明確な分析という観点から完全に正当化される。自分の金本位制の解釈は特異だという指摘を受けたが、1976年のMcCloskeyとZecherの古典的論文「How the Gold Standard Really Worked」や、Harry JohnsonやR. G. Hawtreyも同様の立場に立っている。
  • 金準備にしても、通常は中央銀行の発行する紙幣にのみ適用され、銀行システムの創造する預金全体に適用されるわけではない。従って、世間で一般的に想定されているところの金本位制(=金準備を要件とする金本位制)においても、銀行は預金者の欲するだけの預金を自由に創造することができ、金準備とM1との間の強い相関は存在しない。
  • (1844年の銀行勅許法ではイングランド銀行が100%の金準備を持つことが要求されたので、バーナンキはそれを念頭に議論を展開しているのではないか、というコメントに対し)1844年以前の英国は金本位制では無かったと言う者はいない。その話は、金本位制の理論が、後から付け加えられた本質とは無関係な添加物によって歪められた、という話を実証するものでしかない。デビッド・リカードナポレオン戦争後に金本位制への復帰を訴えた時には、金準備は念頭に無かったはず。バーナンキが100%準備銀行を批判したいのであれば、金本位制を当て馬に使うべきではない。