というNBER論文が上がっている(ungated版)。原題は「Anti-social norms」で、著者はLeopoldo Fergusson(ロス・アンデス大)、José-Alberto Guerra(同)、James A. Robinson(シカゴ大)。
以下はその要旨。
Since formal rules can only partially reduce opportunistic behavior, third-party sanctioning to promote fairness is critical to achieving desirable social outcomes. Social norms may underpin such behavior, but they can also undermine it. We study one such norm the "don’t be a toad" norm, as it is referred to in Colombia that tells people to mind their own business and not snitch on others. In a set of fairness games where a third party can punish unfair behavior, but players can invoke the "don’t be a toad" norm, we find that the mere possibility of invoking this norm completely reverses the benefits of third-party sanctioning to achieve fair social outcomes. We establish this is an anti-social norm in a well-defined sense: most players consider it inappropriate, yet they expect the majority will invoke it. To understand this phenomenon we develop an evolutionary model of endogenous social norm transmission and demonstrate that a payoff advantage from adherence to the norm in social dilemmas, combined with sufficient heterogeneity in the disutility of those who view the norm as inappropriate, can generate the apparent paradox of an anti-social norm in the steady-state equilibrium. We provide further evidence that historical exposure to political violence, which increased the ostracization of snitches, raised sensitivity to this norm.
(拙訳)
公的な規則は機会主義的な行動を部分的にしか減らせないため、望ましい社会的帰結を達成するためには、公正さを促すような第三者の制裁措置が極めて重要である。社会規範はそうした行動を裏打ちするが、そうした行動を損なうこともある。我々は、そうした規範の一つである「ヒキガエルになるな」規範を研究する。その規範はコロンビアでは、他人に干渉せず通報はするな、という趣旨で言及されているためである。第三者が不公正な行動を罰することができるが、プレイヤーが「ヒキガエルになるな」規範を行使できる公正ゲームでは、その規範を行使できる可能性だけで、公正な社会的結果を達成するための第三者による制裁の便益を完全に引っ繰り返せることを我々は見い出した。我々は、これがきちんと意味を定義付けられる反社会規範であることを明らかにした。即ち、大半のプレイヤーはそれが不適切であると認識しているが、その一方で彼らは、大多数の人々がそれを行使すると予想している。この現象を理解するために我々は、内生的な社会規範の伝達の進化モデルを構築し、規範が不適切であると考える人々の不効用の不均一性が十分に大きければ、社会的ジレンマにおいて規範に固執することから得られるペイオフの利益は、定常状態の均衡における反社会規範の明らかなパラドックスをもたらすことを示す。我々は、過去に政治的暴力に曝され、通報者がますます排斥されるようになった場合、この規範への反応度が高まるという実証結果も提示する。
ここで言う反社会規範は多元的無知*1に似ているが、本文の説明によると、多元的無知では、自分が内心では否定している規範を大多数の人々が受け入れていると(誤って)仮定しているのに対し、反社会規範では自分が内心では否定している規範を大多数の人々も否認していると(正しく)予測しつつも、公正ゲームで罰せられる人はその規範を行使するであろうと予想する、とのことである。そのため、多元的無知の場合は情報を伝えて人々の規範的態度を変更すれば問題が解決するが、反社会規範の場合は人々は集団として既に規範が望ましくないと考えているため、人々の規範への見方を変えるだけでは均衡を変えることはできず、社会的ジレンマにおけるペイオフを変える必要がある、との由。
これを読んで小生が連想したのは、川口・蕨市におけるクルド人問題をはじめとする日本の外国人との共生の問題である。おそらく、騒音や騒乱などの反社会的行為には然るべく対処しつつ、日本になるべく溶け込んでもらう、というのが大多数の考える正しい規範だと思われるが*2、その一方で、とにかく厳正に対処して日本から追放せよ、という右翼サイドの規範や、そもそも殊更に外国人問題として対処しようとしたり日本に溶け込ませようとしたりするのはレイシズムであり、受け入れられない、という左翼サイドの規範がある。日本の現状は、前者の正しいと思われる規範に則って問題に対処しようとしている人々が、後者の左右両極の規範をSNSなどで声高に叫ぶ人たちに挟撃されている、という状況かと思われる。もし、左右両極の規範がこの論文の言う反社会規範であり*3、大多数の支持を受けていないものの、正しい規範に基づく行動を委縮させる効果を発揮しているならば、正しい規範の情宣だけでは状況を変えることができず、ペイオフ構造を変えるしかない、というのがこの論文の結論から得られる洞察ということになる。
*1:cf. 多元的無知 - Wikipedia。
*2:cf. 余儀ない移民と難民:経済的・社会的統合を成功させるための政策 - himaginary’s diary、普通教育は信心深さ、選挙への参加、およびイスラム教政党に投票する傾向に影響するか? イスラム教国の教育改革における実証結果 - himaginary’s diary、クルド人にとっての欧州連合のジレンマ:十分に信頼しないながらも加盟に高い支持 - himaginary’s diary。
*3:その場合、論文で示された反社会規範へのコロンビアの過去の内戦(cf. La Violencia - Wikipedia)の影響と同様、大日本帝国時代の朝鮮半島出身者への仕打ちやその反動という歴史的経緯がそうした規範を強める方向に働いている可能性もある。