紙幣とデジタルのバランス

少し前に中国のキャッシュレス社会の進展がツイッター上で話題になったことがあったが、マレーシア中央銀行副総裁のEncik Abdul Rasheed Ghaffourが、今月半ばにクアラルンプールで開かれた通貨会議のウエルカムスピーチで、その問題について論じている(H/T Mostly Economics)。
そこで彼は、デジタル化の進展について論じた上で、以下のように述べている。

However, despite these observations, central banks around the globe expect cash to stay necessary and never go away. There are several reasons for this but ultimately they boil down to having a good mix of both. ...
As a policy maker, I would think that there are three elements, or the ‘3S’, that we should consider in determining an optimal balance of paper and digital, cash and cashless.
(拙訳)
しかしながら、こうした流れにも関わらず、世界の中央銀行は、現金は必要とされ続け、無くなることはない、と予想しています。それには幾つか理由がありますが、両者の適度な組み合わせが良い、という話に最終的には落ち着きます。・・・
政策当局者として私は、紙幣とデジタル、キャッシュとキャッシュレスの最適なバランスを決める上で、我々が考慮すべき3つの要素ないし「3つのS」がある、と考えています。


彼の言う3つのSとは、安全性(Security)、社会的費用(Social cost)、安定性(Stability)であるが、それぞれについて彼は概ね以下のように論じている。

  • 安全性(Security)
    • 偽造は貨幣そのものと同じくらいの長い歴史があるが、近年では現金の安全は向上している。
    • キャッシュレスになってもこの問題は無くならない。最近のランサムウェア攻撃が好例。サイバー攻撃への対応に関しては多大な努力が払われているが、最も頑健なシステムでも消費者が不注意だったり騙されたりしたらどうにもならないので、消費者教育が鍵となる。
    • デジタル取引は必ず痕跡が残るため、非合法活動では現金払いが好まれる。ただ、それだけでは現金を廃止すべき、ということにはならない。ロゴフが提唱するように、高額紙幣の廃止という方法があり、マレーシアでも1999年にそれを実施した。
    • なお、インフレの進展も非合法活動での現金取引をやりにくくするという点で同様の効果がある。
  • 社会的費用(Social cost)
    • 現金は一見すると費用が掛からないように思われる。消費者は登録料や金利のことを考えなくて良いし、小売業者は受け入れのための手数料を払わなくて良い。銀行や業者は最先端のソフトやハードに投資する必要もない。
    • しかし、現金は発行ないし鋳造される必要があるし、何回も輸送、計数、警備される必要がある。各段階で経済の様々な主体に対して馬鹿にならない費用が掛かる。また、現金経済に伴う税金逃れもある。
    • 現金とキャッシュレスの総費用の比較は難題。手法面の課題もさることながら、国によっても結果が違うだろう。しかしそれはやる価値のある計算であり、今後その面でさらなる努力が払われるのではないか。
    • 金融面での弱者救済も課題。キャッシュレス社会に必要なインフラにアクセスできない地方に住む人は全世界に数多くいる。そのため、現金の利用可能性は、彼らが金融システムに包含される上で極めて重要。
    • ただ、ケニアの地方でモバイル決済サービスMペサが成功したことは、キャッシュレス社会でも弱者救済ができる方法があることを示した。
  • 安定性(Stability)
    • 信頼できる電子取引の開発には、クレジットカード、モバイル支払い、プリペイドといった長い歴史がある。最近ではデジタル貨幣に中銀は注目している。
    • デジタル貨幣は変動が大きく、投機的な貯め込みの対象になりやすいため、デジタル貨幣そのもの、もしくは取引所などの第三者の提供者への信認が失われると、取り付け騒ぎが起きる可能性がある。そのリスクは、発行者の裏付けが無く、最後の貸し手も存在しないことにとによって増幅される。
    • 中銀がデジタル貨幣を発行すれば、この問題は部分的に解消するかもしれない。多くの政策担当者がその選択肢を研究している。
    • 現金は決済機能をもつほか、中銀が信認と信頼性を構築する上で強力なツールとなってきた。キャッシュレス化が完全に進むと、中銀はそのツールを失うことになる。


講演は以下の洒落を交えた言葉で締め括られている。

Have a pleasant stay in Malaysia, enjoy yourselves, and please do not hesitate to indulge in some shopping – we do accept cash!
(拙訳)
マレーシアでの滞在をお楽しみ下さい。楽しんで、ショッピングも是非どうぞ――現金払いも受け付けています!