フィデルのキューバの思い出

と題したブログ記事(原題は「Memories of Fidel's Cuba」)でマンキューが、「From my friend and colleague George Borjas(私の友人であり同僚であるGeorge Borjasから)」という一文を付けて、移民の経済学の研究で有名なGeorge Borjas*1ブログ記事にリンクしている。
以下は、「共産主義ユートピアの寸描(Vignettes From A Communist Utopia)」と題されたそのBorjas記事の冒頭。

Fidel Castro died last night at age 90. My first reaction upon reading the news this morning was “Good riddance!”
As I recount in We Wanted Workers, I have many not-so-wonderful memories of growing up in the very early years of Castro’s Cuba. It has always pained me to see Americans who are so ignorant of what a communist dictatorship is about singing praises to the Castro regime. It pains me even more to see people who should know better, like Pope Francis, saying that the “death of Cuba’s revolutionary leader Fidel Castro was ‘sad news’ and that he was grieving and praying for his repose.”
(拙訳)
フィデル・カストロが昨晩90歳で死んだ。今朝そのニュースを読んだ私の最初の反応は、「いなくなってせいせいした!」というものだった。
「We Wanted Workers*2」で詳述したように、私にはカストロキューバの非常に初期の時期に少年時代を送った素晴らしくない思い出がたくさんある。共産主義独裁体制がどんなものかをあまりにも知らない米国人がカストロ体制を称えるのを見るのは私にはいつも苦痛だった。フランシスコ法王のようにもっと事情を知っているはずの人が「キューバの革命指導者フィデル・カストロの死は『悲しむべきニュース』であり、法王は悲しみとともに彼の安息のために祈っている」と言うのを見るのは私にとってさらなる苦痛である。

Borjasの一家は革命前に小さな衣料工場を所有していたが、革命後すぐに接収されたという。彼は、10〜11歳だったという当時の記憶から、以下の5つのエピソードを紹介している。

  1. ピッグス湾事件が起きた後、父を亡くしたばかりのBorjasが身を寄せていた祖母の家に家探しが入った。反革命文書を捜索するという名目だったが、祖父母が名義上の工場の所有者だったことによる政治的嫌がらせの一環だった。真夜中に兵士の一団がやってきて、捜索の間、一家は機関銃を突き付けられて壁際に並ばされた。
  2. 1961年末ないし1962年初めのある日曜に信心深い叔母とともに教会に行ったが、ミサの間に反カトリックの抗議者が教会の周りに集まり、すべての出口を封鎖した。信者たちは侮辱や絶叫や唾吐きの中を延々と歩く羽目になった。(Borjasはこれを、人生の初期段階でのフラッシュモブの経験、と評している)
  3. すべての取引が現金で行われていた時代、カストロは、「余分な」現金を接収するために、古い紙幣を新しい紙幣に一夜にして切り替えた。交換には上限が設けられ、その土曜の朝にはすべてのキューバ人が新紙幣を求める長蛇の列ができた。
  4. 前述とは別の叔母は、革命前の海軍の下級士官と結婚していた。夫の上官が娘(=Borjasの従妹)の名付け親となった(当時Borjasは4歳くらいだったとの由)。彼は毎年きちんとした正装で家族の集まりに来てくれたが、革命後すぐに逮捕された。叔母が監獄を訪ねた時、数日しか経っていないにも関わらず、数十年も年を取ったようにみえた(監獄の中のひどい話も伝え聞いたが、Borjasはあまり覚えていないとの由)。叔母の訪問の1〜2日後、彼は銃殺隊によって処刑された。
  5. 工場の接収後、資本家だったことから一家は働き口を見つけるのに非常に苦労した。最終的に出国ビザを取得するまでは、家具や宝石を売って糊口を凌いだ。カストロキューバでは密告屋の家族があちこちにおり、近隣の反革命活動と疑われる活動を記録していた。出国ビザを取得した時、そのスパイが作成した家から運び出された家具のリストが値段付きで突き付けられ、「それはあなたがたの持ち物ではなく、国の持ち物だ」と言われた。

以上のエピソードの紹介の後、Borjasは次のように付け加えている。

My memory bank is full of such vignettes. But I know there are far worse stories to be told, documented, and kept alive to ensure they do not disappear into the ether. Communism is evil and Castro was one of the devil’s agents.
(拙訳)
私の記憶にはそうした寸描がいっぱい詰まっている。しかしこれよりも遥かにひどい、伝えられ記録され雲散霧消しないようにしっかりと残されるべき物語があることを私は知っている。共産主義は悪であり、カストロは悪魔の手先の一人だったのだ。


その後Borjasは、米・キューバの国交回復について良く聞かれるが功罪両面あるので何とも言えない、とオバマ政権によるキューバとの関係改善への直接的な評価を避けた上で、オバマチャベスと交歓している写真を取り上げ、この写真を見る限りオバマの行動の賢さへの信頼は消え失せる、と斜め上の角度からオバマを批判している。オバマは幾人かの非常に不快な人物と極めて親しいように思われるが、特にチャベスは自由や米国流のやり方と相容れない人物である、との由(なお、原文ではチャベスという言葉を一切出していない)。


そして、正義と自由の側に立つ者の正しい反応を完璧に要約したツイート(tweet perfectly encapsulates the correct response of anyone on the side of justice and liberty)として、以下を取り上げている。