ロバート・バローの息子で現在NYTの「The Upshot」に記事を書いているジョシュ・バローが、このCNN日本語記事などで報じられた旅客機の座席のリクライニングを巡る乗客同士のトラブルを8/27付け記事で取り上げ、解決策としてコースの定理を持ち出した。そのバロー記事を、マンキューが「コースの定理の素晴らしい応用(A Nice Application of the Coase Theorem)」と題したブログエントリでリンクした。一方、Econospeakのピーター・ドーマンは、同記事をフォローする形で書かれた同じくThe UpshotのDamon Darlinの8/28付け記事共々、コースの定理の悪用として一蹴している。
以下はドーマンのエントリの概要。
- バローは、座席をリクライニングする権利を認めた上で(∵座席はそもそもリクライニングできる設計になっており、乗員もその権利の執行を強制できる)、解決を市場に委ねるべき、と言う。もしリクライニングしてほしくなければ、後部座席の人は前部座席の人に金を払え、というわけだ。
- Darlinはニー・ディフェンダーというリクライニング防止装置によって、リクライニングする側に一方的に有利だった状況が変わった、というが、それは別に権利関係を変えたわけではなく、ニー・ディフェンダーをしまえ、と言う手間が一つ付け加わったに過ぎない。
- コースの定理の適用は一見合理的に思われるが、社会正義の問題はなおざりにされている。バローはリクライニングを嫌がる人は背が高い傾向にあり、背が高い人は低い人より平均収入が多い*1ので、金銭の支払いによる解決は既存の不公平を是正することになる、と言う。これは、あるいは寒い冗談のつもりかもしれないが、経済分析としては極めてお粗末。身長による収入差は、全体的な格差に比べれば極めて僅かなものであり、たまたま前と後ろに座ったもの同士に適用できるとは思われない(ドーマン自身も6フィート超だが、彼が得ている平均的な学者の収入は、まずもってどんなに身長の低いビジネス旅客の収入にも劣るだろう)。リクライニングされる人は、現在もしくは将来のフライトでリクライニングする人となる可能性もあり、この制度が導入された場合、平均すると金銭移転は相殺される、と考えるべきだろう。