Economist's Viewがバリー・リソルツの8/11付けブルームバーグ論説を引用している。
On this day in 1987, Alan Greenspan became chairman of the Federal Reserve Board. This anniversary allows us to take a quick look at what followed over the next two decades. As it turned out, it was one of the most interesting and, to be blunt, weirdest tenures ever for a Fed chairman.
This was largely because of the strange ways Greenspan's infatuation with the philosophy of Ayn Rand manifested themselves. He was a free marketer who loved to intervene in the markets, a chief bank regulator who seemingly failed to understand even the most basic premise of bank regulations.
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The contradictions between Greenspan's philosophy and his actions led to many key events over his career. The ones that stand out the most in my mind are as follows...
(拙訳)
1987年のこの日、アラン・グリーンスパンはFRB議長に就任した。この記念日は、その後の20年に何が起きたかについて簡単に概観する機会となる。その20年は、FRB議長にとってさえ最も興味深く、かつ、率直に言って異様な任期の一つであった。
そうなった理由は、グリーンスパンのアイン・ランドの哲学への心酔が奇妙な形で現れたことによるところが大きい。彼は市場に介入することを好んだ自由市場主義者であり、銀行規制の最も基本的な前提すら理解していないように見えた銀行規制の主たる責任者であった。
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グリーンスパンの哲学と行動の矛盾は、彼のキャリアにおける多くの重要な出来事をもたらした。私の目から見て最も際立つ出来事は以下のものである。
ここでリソルツが挙げた出来事は以下の5つである。
- ブラックマンデーへの対応から市場の変動の後始末は簡単だという教訓を学んだこと
- 後の歴史はその教訓が誤りであったことを示すことになる
- FOMC理事の公けの反乱に近いところまで行った1991年2月のFOMC会合前の独自判断による0.5ポイントの利下げ
- 過去12ヶ月の7回の利上げに続いて、1995年7月、12月、翌年1月の0.25ポイントずつ利下げしたことにより、「グリーンスパン・プット」が誕生したこと
- 2001-02年の利下げ
- 最終的に自分の市場哲学に「欠陥(flaw)」があることを認めたこと
なお、リソルツによると、そもそもランドが矛盾していたという。彼は論説記事を以下のように締めくくっている。
It's worth noting that, Greenspan’s intellectual hero, Rand, also turned her back on her own philosophy, living off of Social Security and other government aid before she died of cancer in 1982.
In the end, a central banker cannot be both concerned with asset prices yet comfortable with collapsing bubbles. These are inherently contradictory beliefs. That is why Greenspan’s tenure was both disastrous and fascinating.
(拙訳)
グリーンスパンの知的ヒーローであるランドもまた自身の哲学に背を向けたことは注目に値する。1982年に癌で死ぬ前に、彼女は社会保障やその他の政府給付で生計を立てていた。
とどのつまり、中央銀行家は資産価格を懸念しつつ気兼ねなくバブルを潰すことはできない。それらは本質的に矛盾した考え方なのだ。それがグリーンスパンの任期が破壊的であると同時に魅力的なものとなった理由だ。