コント:ポール君とグレッグ君(2014年第12弾)

マンキューが、クルーグマン7/31付けNYT論説を非難したコトリコフのフォーブス論説を材料に、クルーグマンのネットや論説での態度を改めて攻撃した。クルーグマンはマンキューには直接反応しなかったものの、コトリコフ論説には反応した。

グレッグ君
ラリー・コトリコフがポール君に礼儀正しくしてほしいとお願いしているね。高潔な努力だけど、無駄に終わるだろうね。それを読んで、少し前に貰ったeメールを思い出したので、ここに載せておく。
(掲載されたそのeメールでは、トマス・ソーウェルの「A Conflict of Visions」を基に、クルーグマンを非束縛的価値観、マンキューを束縛的価値観の持ち主と位置付けている*1。その上で同書の一節を引用しているが、そこでは概ね以下のようなことが述べられている:非束縛的価値観の持ち主は誠実さを重視するあまり、論争相手を誠実ではないと決めつけるか、さもなくば盲目な先入観の持ち主と決めつける傾向がある。一方、束縛的価値観の持ち主は、誠実さというものにそれほど重きを置かないので相手を不誠実だと決めつけることもなく、また、相手を馬鹿だと決めつけることもなく、社会的過程は非常に複雑なので賢く道徳観のある人物も容易にとんでもない間違いを犯すものだ、と考えている)。
ポール君
ブラッド・デロングが、僕が如何に意地悪かについてラリー・コトリコフが声高に非難しているのを見つけた。僕が意地悪すぎるせいでラリーは僕が書いたことを読む気にならないみたいだ。僕はポール・ライアンが馬鹿だとは言っていない。ただ、詐欺師だとはほのめかしたし、別の場所では彼は詐欺師だとはっきりと何回も言った。その理由は実のある議論を避けるためではない。ライアンの詐欺行為についてはブログで既に詳説している。
それでも議論は礼儀正しくあるべきと言う人もあるかもしれないが、僕の狙いは実際に何が起きているかを読者に知らしめることにある。そして、右派の目的を別のお題目を隠れ蓑に売り込もうとする企みは、この話の重要な部分なのだ。正直な専門家という入念に作られたイメージを基にライアンを語るならば、既に彼に取り込まれていることになる。僕の仕事はあくまでも適切な情報を伝えることにあるのだ。
重要人物は誠意をもって議論している、と前提してよい世界に住んでいれば良かったのに、と僕も思う。その場合には、彼らが政策提案でやると言っていることが実際にやることだと考えて良いことになる。しかし、そう願ってもそれが現実になるわけではないし、もし世界がそのようなものだという前提で行動したならば、僕自身が不誠実な行動を取っていることになる。

*1:この辺りの話の日本語による解説としては、ぐぐって見つけたこちらのブログを参照。