昨日リンクしたクリス・ディローの19日エントリでは、ここで紹介したサイモン・レンールイスの
マクロ経済学モデル構築の卵をすべてミクロ的基礎付けという一つの籠に入れたことにより、急速に変化する現実世界に追随してマクロ経済学者が何か有益なことを言うスピードを顕著に鈍化させたのだろうか?
という問いを深めるという形で、良きマクロ経済理論が適合すべき現実世界における5つの事実を挙げている。
- 失業者は職を持つ者より大いに不幸である。これはマクロ経済学への興味を正当化するのみならず、RBC型理論への重大な疑念を抱かせる。確かに限界原理的に失業を選ぶ者もいようが、失業者の大多数が不幸であるという事実は、失業の大多数は非自発的であることを示している。
- 価格と賃金の粘着性は過大評価されている。イングランド銀行のある調査によると、企業の半数近くがコストの増大もしくは需要の低下の3ヶ月以内に価格を変更しており、価格の粘着性が普遍原理ではないことを示している。また、危機前の実証結果は賃金の粘着性を示していたが、より最近の実証結果はそれに疑問を投げ掛けている。従って、粘着性を中心教義に据えたモデルは、実証に十分に裏付けられているとは言い難いのではないか。
- 少数の組織の失敗がマクロ経済的に重大な結果をもたらし得る。大不況は数行の銀行の破綻から始まった。このことは、Xavier Gabaixが提唱したようなミクロの失敗がマクロの失敗につながるモデルが必要とされていることを示している。
- 供給ショックは確かに発生する。すべての生産性の変動が需要ショックに伴う労働保蔵だけに起因するとは考えにくい。その発現形態の一つが、幾つかの大企業の破綻が生産性の低下という形でマクロ経済データに表れた、というGabaixが示した結果である。
- 主体間の相互作用は変動を増幅させ得る。消費者が他の消費者を真似することで支出のカスケードが起こる。また、楽観論や悲観論は伝染性なので、アニマルスピリットは疫病と同じように広がる*1。
その上でディローは、これら5つの事実の共通要因として、主体の不均一性という側面を挙げている。即ち、
- ある失業者は給付の変化に反応するかもしれないが大部分はそうではない
- ある種の価格は粘着的だは、他はそうではない
- ある企業はマクロ経済的な影響を持つほど巨大で、他はそうではない
といったことである。それが意味するのは、RBCにしろニューケインジアンにしろ従来のマクロ経済学の問題は、ミクロ的基礎付けそのものというよりは、ミクロ的基礎付けが代表的主体において整合的ではなくてはならない、という仮定にあるのではないか、とディローは考察している。
上記の5項目を取り入れたモデルは非常に複雑になるだろう、という点に関してディローは、経済はそもそも非常に複雑なシステムであり、それを考慮しない理論は非常に疑わしいものとなる、と論じている。従って、DSGEなどよりはエージェントベースのモデルが理解の手助けになるのではないか、というのが彼の考えである。
コメント欄では、こうしたディローの考察に対し賛否両論が見られるが、そのうちの一人は、DSGEは既にその5項目を取り入れているか、取り入れようとしている、と反論している。そのコメンターによれば、例えば第一項における無収入の人については、限界効用の逓減と稲田条件でカバーしているではないか、とのことである。また、第三項について言えば、主流派経済学は金融部門の研究にDSGEの枠組みで過去7年間精力的に取り組んでいる、と指摘している。これに対しディローは、第一項はケイシー・マリガンを念頭に書いた、と応じている。また第三項は金融部門だけではなく、例えば福島の原発閉鎖のような非金融部門の失敗もマクロ的な影響を及ぼし得る、と指摘し、アセモグルの論文を関連研究として挙げている。