1/2エントリでマンキューブログを通じて間接的に紹介した、人は地位に関係なくお互いに敬意をもって接すべき、というノアピニオン氏の提唱に、クリス・ディローも反応している。
彼はまず、ジェイ・Zの王様気取りの振る舞いや、シカゴ大学で作業員がエレベータ使用を禁止されたことや、米国版ブラック企業の事例集など、ノアピニオン氏の提唱に真っ向から反するような現実の事象を幾つか挙げた上で、以下のように書いている。
I agree. However, I fear that Noah is under-estimating the extent to which inequality of respect is endogenous. It arises out of the forces that generate and sustain inequalities of power and wealth.
(拙訳)
ノアに同意するが、ただ、彼は敬意の格差がどの程度内生的かという点について過小評価しているのではないかと思う。それは、権力と富の格差を生み出し維持する力から生み出されているのだ。
そして、その内生的なメカニズムについて幾つか例を挙げている:
- CEOが自らの権力を正当化するのは、自分がレントを求める官僚ではなく、英雄や勇敢なリスクを取ることを恐れない指導者であると主張することによってである。それにより、彼らは過剰な敬意を求める(かつ、それを得る)。
- 成功者は自らの富がどの程度能力ではなく運によってもたらされたかを過小評価する。それにより、彼らは応分以上の敬意を要求し、他者を見下す。
- 世界では因果応報が成立していると考えたがる傾向は、格差は正当だと信じたがっていることを意味する。
- 資本主義では仕事を単純作業化し、敬意や自尊心の源泉たる自立性や職人技を労働者から奪う。
- 特定方面の技能よりは富や権力を追求する新自由主義的傾向にあっては、前者を追求する人は見下される。
ディローは以下の言葉でエントリを締め括っている。
To the extent that these mechanisms exist, I fear Noah is being a little naive. We cannot redistribute respect unless we remove sources of material inequality.
(拙訳)
こうしたメカニズムが存在する限りにおいては、ノアは少しナイーブなのではないかと思う。我々は、物質的な格差の源を断たない限り、敬意を再配分することはできない。