年末年始に何となく手元の岸信介に関する本を幾つか*1眺めていたら、この人は基本的に、一般に思われているような単なる権力志向の右翼政治家ではなく、所与の前提下で最適な政治解決策を求める、という、ある意味非常に学校秀才的な合理的行動を取る人だったのではないか、という気がしてきた。ただしその際、目的至上主義に走る余りルールを枉げることも辞さず、というスタンスが色々問題を呼んだように思われる。
以下、そうした観点から彼の行動を簡単にまとめてみる。
- 戦時経済
一方で、最適な解決策がすぐに見つからない場合には、あれこれ模索したのではないかと思う。その模索過程のどっちつかずな態度が、「両岸」と呼ばれるようになったのではないか。
では、昨今問題になっている海外の戦争犠牲者の被害感情についてはどう考えていたのか? これについて彼は、時間が経つとともにやがて薄らいでいくとやや甘く考えていたようである*2。それは、首相として海外を訪問した際の経験――日露戦争の日本の勝利によって勇気付けられたというインドのネールの言葉や、蒋介石に日本の軍民200万人を無事帰国させたことに謝意を表した際に、彼のその方針が日本で学んだという「怨に報いるに徳を以ってせよ」という言葉に基づいていたという話や、豪州の反日感情を議会演説で好転させたという自信など――に裏打ちされていたように思われる。
しかし、彼の想定に反し、特に中韓において反日感情は収まることはなく、現在の日本外交の最大の問題の一つになっている。もし彼が現在の政治で責任ある立場にいたとしたら、上述の行動パターンからすると、そうした中韓の感情問題を所与の前提として、日本として最適な反応は何か、を考えるのではないか。そしてその際、戦争責任等に関する自分の感情は取りあえず封印して、両国の感情の好転を阻害し、かつ、日本の立場の強化にもさほどつながらないような行動は控えたのではないか。
実際、岸は、首相在任中、地元の山口の漁民が韓国に拿捕されているという状況の中、反日傾向の著しい李承晩政権と粘り強く交渉を試みたり、台湾の反発を抑えつつ日中貿易に乗り出したり、と対中韓関係の改善にそれなりの手を打っているが、それは、隣国同士は引っ越すわけにはいかない、という冷徹な現実主義に基づいている。また、台湾と中国の関係について、国民党政府の軍事による大陸反攻はもはや不可能だが、台湾を資本主義のショーウインドウとして発展させることが光復につながるのではないか、という趣旨のことを蒋介石に述べたというが、ある意味――少なくとも経済的な意味において――その通りになったわけだ。
*1:
*2:言葉は悪いが、合理的政治人として一種の埋没費用のように考えていたのではないか。