コント:ポール君とグレッグ君(2013年第4弾)・続き

クルーグマンが、昨日紹介したマンキュー批判への追加エントリを上げた。すると、6/20エントリでは「批判には応えないよ。時間は貴重だし、僕は他のプロジェクトで忙しいんでね。良しきにつけ悪しきにつけ、論文で書いたことがすべてだ(I won't respond to the critics. Time is scarce, and I am busy with other projects. For better or worse, I will leave the paper to speak for itself. )」と澄ましていたマンキューも、さすがに反応した。

ポール君
先日書いたように、グレッグ君の1%擁護論文では、彼の若かりし頃から米国がどんなに変わったか、という点が奇妙なほど綺麗さっぱり抜け落ちていた。僕らの今の社会は当時より遥かに不平等になっているし、その結果、世代間で所得階層を移動する可能性もかなり低下してしまった。

僕はそのことを印象主義的に論じたが、グレッグ君の論文が掲載されるのと同じ号で、マイルズ・コラック*1が沢山の実証結果付きの論文でそのことを論じていたことが分かった。たとえば下図は「家族が書籍、コンピューター、良質の保育、サマーキャンプ、私立学校、およびその他の子供の能力を上げるための支出に費やす子供一人当たりの金額」として定義された「豊かになるための支出」のデータだ。

富裕層の子供に費やす金額は、単により多いというだけではなく、グレッグ君や僕が若かった頃に比べて差が拡大している。それが全部無駄な支出になっているという可能性もあるが、そうではないと僕は思う。僕らの社会は不平等になったと共に、機会の不平等も拡大したのだ。

ちなみにコラック論文には他にも色々書かれている。僕が特に強い印象を受けたのは、米国とカナダの所得階層移動可能性の比較だ。米国の方が移動可能性が低いことには驚きはしなかったし、ましてや米国では10分位の最下位の層から抜け出すのが難しいということは意外でも何でもなかった。しかし、米国では10分位の最上位の層に留まるのも簡単なのだそうだ――米国の最上位層がカナダのそれより遺伝的に優れているとでも信じない限り、実力主義社会のイメージとはまったくそぐわない話だ。

いずれにせよ、僕らの社会はかつてとは別物になっている。ベビーブーマー世代はそのことを知っていて然るべきだ。
グレッグ君
ポール君が僕の最近の論文にコメントしたが、富裕層が子供を豊かにするための支出を増やしたことが特筆に値することだと考えているらしい。僕にとっては、それはさして驚くべきことではない。富裕層の所得は上昇したし、そういった分野への支出は、他の多くの支出と同様に、正の所得弾力性を持っているからね。

僕には3人の子供がいるが、僕の知る限り、ポール君には子供がいない*2。だからその分野に費やした支出は、彼よりも僕の方がかなり多いだろう。その僕に言わせれば、そういった支出の大部分は消費であって投資ではない。

僕の論文では、ジュディス・ハリスの「The Nurture Assumption(邦訳:子育ての大誤解)」を引用しておくべきだったかもしれない。この素晴らしい本の主要命題は、遺伝子を除けば、ほとんどの人が思うより両親の影響は小さい、というものなのだ。3人の子供を育てた僕にはハリスの結論が良く理解できる。我々両親の影響力の無さには苛々させられるからね。

僕の友人には、物凄い資産家の家族にアドバイスすることを仕事にしている人がいる。彼女は良く、大金を受け継ぐことを知っている子供をどうしたら上手く育てられるか、と訊かれるそうだ。そうした環境で育った子供がろくでなしになってしまうことはあまりにもありふれた出来事だからね。それに対する彼女のアドバイスは、夏休み中にバイトさせなさい、というものだ。豊かにさせる活動に支出するよりも、生活費を稼ぐことがどういうことか覚えさせなさい、というわけだな。

*1:ここで紹介したように、Great Gatsby curveの生みの親。

*2:小生の情報と一致w。