9/30に取り上げたレイン・ケンウォーシーによるアセモグル=ロビンソンとThierry Verdierの論文批判について、マシュー・イグレシアスも反応していた。そこでイグレシアスは、同論文が特許件数をイノベーションの代理変数として用いていることを強く批判し、garbage-in/garbage-outの分析、とまで酷評している。
さらに翌日のエントリでイグレシアスは、「〈反〉知的独占 ―特許と著作権の経済学」を著したコンビ(=ミケーレ・ボルドリン[Michele Boldrin]、デイヴィッド・K・レヴァイン[David K. Levine])が出した論文*1を引用した上で、以下のようにその主張を繰り返している。
Total Factor Productivity is (by definition) unmeasurable. But what often happens is that people use the word "technology" or "innovation" to mean TFP, and then propose some empirical measure of innovation (perhaps patents) and then draw policy conclusions that are based on an ambiguating between ordinary language meanings of the words and the technical definition of TFP. What's wanted is research that moves beyond phlogiston economics and shows that there's some countable empirical quantity that reduces our need to appeal to the mystery residual to explain growth. What Boldrin and Levine are showing is that patents aren't that either. There's no evidence that more patenting leads to more productivity.
(拙訳)
全要素生産性は(定義により)測定不可能である。しかし、人々はしばしば「技術」や「イノベーション」といった用語をTFPを意味するものとして用い、イノベーションの何らかの実証上の測定尺度(特許など)を提唱し、一般的な用語の意味とTFPのテクニカルな定義との境界を曖昧化した上での政策的な結論を導き出す。今求められているのは、そうしたフロギストン経済学を超えて*2、成長を説明する際に謎の残差に訴求する必要性を減じるような何らかの実証上の数量が存在することを示す研究である。ボルドリンとレヴァインが示したのは、特許もまたそうした数量ではない*3、ということである。特許が多いほど生産性が高くなるという証拠は存在しない。