暗黒の水曜日の2つのパラドックス

20年前の9月16日に起きた暗黒の水曜日(=ポンドのERM離脱;cf. ここ)について、Chris Dillowが興味深い考察を示している。彼によれば、その出来事から2つのパラドックスが導かれるという。


一つは、ERM参加は何年も経済学者が熱心に議論して決めたことであるにも関わらず、政策として悪いものだということが明らかになった点。一方、インフレ目標政策は急ごしらえで策定した政策であったにも関わらず、優れた政策であることが明らかになった。つまり、じっくりと時間を掛けて熟考と討議を重ねて策定された政策が、パニック的に採用された政策に勝るとは限らない、というパラドックスである。


もう一つのパラドックスは、暗黒の水曜日の後の英国は力強い成長を遂げたにも関わらず、メージャー政権は遂にその出来事による支持率への打撃から回復できなかった、という点。その経済成長がポンド安のお蔭か低金利のお蔭か、はたまたインフレ目標そのもののお蔭かはともかくとして、長期に亘る力強い成長と失業率の低下がもたらされたことは確かである。実際、その出来事を暗黒の水曜日ではなく黄金の水曜日と呼ぶようにしよう、という動きもあったそうだが(cf. ここ)、ついぞ成功しなかったとの由。
そもそもERM参加が間違った決断だったために有権者がメージャー政権を罰した、という見方もできようが、Dillowは、以下の2つの理由によりそれは当たらない、という。即ち、その決断を下したにも関わらず1992年の選挙*1でメージャーが勝利したことと、労働党もERM参加を支持していたこと、である。


このエントリのコメント欄にはNick Roweが姿を現し、第一のパラドックスについてはニュージーランドもカナダも同様だった、即ち、いずれの国のインフレ目標政策の導入過程も巧遅というよりは拙速だった、という趣旨のコメントをしている。

*1:これによると選挙日は4月9日だったとの由。