論争において嘲笑は悪手

とModeled Behaviorでカール・スミスが書いている

...mocking your intellectual opponents is a bad idea because only raises the cost of them changing their mind. if you mock them, your opponent has to admit that he or she is a fool.
Its much better to downplay differences and disagreements as honest mistakes that anyone could have made. This way if people want to switch their views its far less painful for them.
...
These other folks – who constitute the bulk of the population – get naturally defensive when you mock them. They do not feel scared off in the slightest. Indeed, they might have otherwise been charming and friendly but your mockery will turn them into blood enemies.
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...mocking them is not going to get them to shy away. Its going to get them to dig in deeper.


(拙訳)
・・・論争の相手を嘲笑するのは悪手である。というのは、それは相手が考えを変える際のハードルを上げるだけだからである。もし嘲笑すれば、相手は自分が馬鹿であることを認める必要が出てきてしまう。
それよりは、考えの違いや意見の相違を、誰でも犯し得るうっかりミスに矮小化する方が遥かに良い。そうすれば、相手が考えを変える際の苦痛は遥かに小さくなる。
・・・
(特殊な心理構造を持たない)人口の大宗を占める多くの人々は、嘲笑されると自然と身構える。彼らが怯えることは決して無い。実際のところ、本来は魅力的で友好的だった人々が、嘲笑によって宿敵に変化してしまうかもしれない。
・・・
・・・嘲笑が彼らを怯ませることは無い。それは、彼らが自分の主張を維持する姿勢をより強固にするだけである。


ここで、嘲笑によって怯えて逃げてしまう特殊な心理構造を持つ少数派とされているのは、ケビン・ドラムが描くところのリベラル派である。ドラムが、嘲笑に怯えるな、とウォール街を占拠している人々に発破を掛けているのに対し、ということは、そういう人々は嘲笑すると怯えてしまうわけだね、それは大部分の人と違う心理構造だね、と皮肉っているわけである。


そうしたひねくれたエントリの構成はともかくとして、嘲笑は相手の態度を硬化させるだけで益は無い、というスミスの主張は至極真っ当なものと思われる(カプランのこの主張とも共通している)。そして同時にそれは、実践されれば論争(特にネット上の)の質を大きく改善することがほぼ確実であるにも関わらず、まず省みられることの無い主張でもある。


ちなみにスミスは、この少し前のエントリで、嘲笑とは、道徳的感覚を実務的感覚に優先したがための反応である、と喝破している。そこで彼は、規制監督上の不確実性が景気を冷やしている、という考えを嘲笑したクルーグマンを例に取り、そうした考えに反論するもっと良い方法は、仮にオバマの政策が悪いものだとしても、ケインズ経済学的な概念抜きではそれが労働市場の需給の不一致につながることはなく、そうした不一致をもたらす要因に対処するには金融政策が相応しい、といった論理を理路整然と解き明かすことだ、と述べている(それに対しては、そういった理屈が通じる相手じゃ無いんだよ、といったこれまた尤もなコメントも付いているが…)。