コアインフレ率なんかいらない?

とジェームズ・ブラード・セントルイス連銀総裁が主張している。直近では5/18にNYUで「Measuring Inflation: The Core Is Rotten」と題した講演を行っている。その講演内容は、日本語ではロイターが報じたほか、こちらのブログで要約がなされている。
そこでブラードは、中央銀行がコアインフレ率ではなくヘッドラインインフレ率(総合インフレ率)を目標として使うことを推奨している。彼がコアインフレ率に否定的なのは、通常コアインフレ率の長所とされている以下の点が実はそうではないから、とのことである:

  1. ボラティリティが低い
    • ボラティリティを低めた結果、コアインフレ率のノイズ的な小さな動きを強調して金融政策に結び付けてしまう結果になるのではないか。
    • ボラティリティを低めるのは、単に一部の価格を対象外としてしまうのではなく、計算方法を工夫することによっても達成できる。
  2. コアインフレが総合インフレを予測する
    • 実証的に支持されてない。
  3. 相対価格の変化に惑わされずに物価のシグナルを捉える
    • 総合物価指数の計算においては、家計の予算制約を取り入れることにより、相対価格の変化が家計の行動に与える影響は既に勘案されている。しかも連鎖方式ではそれがスムーズになされている。
    • エネルギー価格にFRBは影響力を持たないという議論もあるが、それは個々の商品すべてに当てはまる話。それぞれの商品は基本的にはそれぞれの商品の需給によって決まっている。FRBはあくまでも総合的な物価動向に不確定な期間において影響を与えられるに過ぎない。
    • 今日において重要な相対価格の変動としては、エネルギー価格とそれ以外の商品の価格の変動が挙げられる。エネルギー価格の上昇は一回きりのものであるから無視しても良い、という議論もある。しかし…
      • エネルギー価格の上昇は、他の商品への支出を減らし、その商品の需要を減少させることによって価格を下げる。そうした他の商品の価格変化だけを見ると、インフレを過小評価することになる。
      • エネルギー価格の上昇が新興国の供給に制約を与え、将来のインフレをもたらすということも考えられる。その場合、エネルギー価格を無視することはやはりインフレの過小評価になる。
  • 粘着的な価格に焦点を当てる
    • 粘着的・伸縮的というのはまだ学界での議論に留まっており、実務家はそのような観点で物価を分けていない。


それに対しMatt Rognlieが、家計が日々購入する商品の価格を表わす総合インフレ率を金融政策の中期的目標とするのは自明の理で、コアインフレ率を目標とするのはそのための不完全な短期的手段、とブラードはしているが、本当にそうなのか、と疑問を投げ掛けている。そして、もし家計の支出に焦点を当てるならば、同様のロジックで家計の所得に焦点を当て、名目賃金目標を主唱することも可能ではないか、と指摘している。その上で、そもそもなぜインフレ率を安定させたいかを考えるべき、と問い掛けている。Rognlieに言わせれば、それはインフレには直接的なコストが存在するためだが、経済学者によれば、そのコストには3つの発生経路がある:

  1. フリードマン・ルールからの逸脱
  2. 価格の分散(Price dispersion
  3. キャピタルゲイン税との相互作用

しかし、いずれも総合インフレ率の使用を正当化するものではない、とRognlieは言う。というのは、

  1. 今日の名目金利フリードマン・ルールが提案する通りゼロになっているので、債券の名目金利と貨幣の金利(=ゼロ)のギャップをインフレが拡大させるなどという心配には及ばない*1。また、今日の原油価格の変化が問題なのは、数年後に物価のトレンドを上昇させる限りにおいてだが、その頃にはFRBが利上げを始めているはずであり、そうした上昇は考えにくい。
  2. ニューケインジアンモデルでは、価格粘着性の違いによる価格の分散が問題になる。すなわち、直近に(上方に)改定された価格が、改定されていない価格に比べて上振れている、という問題である。それに対し、食糧やエネルギーの価格には粘着性が無く、始終改定されていて変動性が極めて高いので、価格分散を問題にする際に対象に含めるのは不適当である。
  3. インフレによって底上げされたキャピタルゲインに課税されるというのは投資家にとってのペナルティであり、インフレのコストとしては最も重大なものと言える(同時に、完全に回避可能なコストである)。資本へのリターンは、消費者の選好と投資ユニバースによって同時決定される。消費にとってのインフレは総合インフレ率で見て良いかもしれないが、投資の限界収益率はむしろGDPデフレータなどで見るべき。


あるいは、インフレを安定させることは、マクロ経済の安定の手段と見做すこともできる、とRognlieは言う。だがその場合、マンキュー=Reis論文の枠組みで考えるならば*2、マクロ経済変数としてS/N比の低い価格や、伸縮性の高い価格のウェイトは低めるべき、ということになる。それはまさにコアインフレで除外されている価格である、とRognlieは指摘する。


また、ブラードが、2008年後半から2009年に掛けて総合インフレ率がマイナスになるまで低下したことは米国経済が受けたインパクトを良く表わしていた、と述べたのに対し、Rognlieは、当時食糧やエネルギー価格が有用な情報を提供していたとは思えない、株価や予想インフレが急激に低下していたのは誰の目にも明らかだった、と疑問を呈している。さらに、むしろ2008年前半にはエネルギー価格が上昇したことが総合インフレ率を通じて真の問題を覆い隠し、FRBが10月までFF金利を2%に維持するという深刻な過ちを招いたのではないか、と指摘している。


最後にRognlieは、インフレ率を安定させる理由として名目価格による契約の重要性を挙げ、債務の制約*3を考えるならば、賃金の安定性を考えるべきではないか、と述べている。その場合、原油価格が3%上昇したからといって他の価格をおしなべて3%トレンドより下に押し下げれば、結果として賃金も3%下落させることになる(∵賃金は原油価格に連動せずに他の価格に連動する)、それは理屈に合わないのではないか、と指摘している。


コメント欄にはスコット・サムナーが姿を現し、諸手を挙げてRognlieの意見に賛成している。そして、雇用の安定性を考えれば名目GDP目標より名目賃金目標が良いと以前論じたことがあったが*4、債務問題を考えれば時間当たり賃金目標よりも名目GDP目標の方が良いかもしれない、いずれにせよ総合インフレ率目標は下策だ、と付け加えている。
また、デビッド・ベックワースも姿を見せ、君も名目GDP目標に賛成と考えてよいのかな、とオルグ活動まがいのコメントを残している。


ちなみにModeled BehaviorのNiklas Blanchardもブラードの総合インフレ率重視の姿勢に疑問を呈している。ただしそれはNYU講演への反応ではなく、そのちょうど1ヶ月前のケンタッキー州ルイビルでのブラードの講演資料に反応したものである(Blanchardのエントリの日付も4/18)。そこでBlanchardは以下の点を指摘し、恰もRognlieのエントリを先取りしたような格好になっている。

  • 我々のインフレ率の尺度はどう頑張っても疑わしいものであり、かつ、遅行指標である。
  • 2008年の危機前に総合インフレ率に焦点を当てたことが金融政策に失敗につながったのではないか。
  • 賃金と物価のスパイラルは賃金のスパイラルを伴うはずだが、実際にはそれは観測されていない。
  • ブラードは今日の総合インフレ率の上昇はトレンドだと考えているようだが、その理由が分からない。FRBは既に過去のものとなったインフレ率と、将来のインフレ率のどちらを目標とすべきなのか? TIPSのブレーク・イーブン・インフレ率は適正範囲にあるように思われる。
  • こうした話は、名目GDP目標の正当性を高めるように思われる。それが標準となれば、こうした馬鹿げた議論はしなくて済むからだ。単に「名目GDPは目標に乗っているかい?」と訊けば話は済む。そしてグラフを見る限り、それは未だ目標に乗っていないようだ。

*1:なおRognlieは、フリードマン・ルールが実際には意味を持たないということを以前のエントリにリンクして断っている。そちらのエントリでは、フリードマン・ルールが定性的にはともかく定量的には無意味だと論じているのだが、それは小生が以前Schmitt-Grohe=Uribe論文「The Optimal Rate Of Inflation」を取り上げたこのエントリで「フリードマン・ルールは現実世界に適用する上ではあまりにも破綻しやすく使えない、という認識をSchmitt-Grohe=Uribeは持っているように思われる」と書いたのと同様の認識である(実際Rognlieはその論文も援用している)。

*2:cf. ここ

*3:cf. 昨日のエントリ

*4:cf. 「コメント欄でサムナーが嫌なこと言ってますねえ。