ドッド・フランク法の下ではリーマンはどのように処理されていたか?

表題の件に関して米連邦預金保険公社FDIC)が仮想的なシミュレーションレポートを出した*1、それを巡ってNaked Capitalismのイブ・スミスとEconomics of Contempt(EoC)という2人のブロガーの間で激しい応酬があった。


これまでの議論の経過は以下の通り。

  • スミスが4/18にレポートを批判し、行き掛けの駄賃でEoCを政府のチアリーダーと腐す。
  • EoCが4/25に、こちらも脚注の序でのような形でスミスの認識を批判。
  • スミスが4/26にエントリを立てて反論。
  • EoCも5/8にエントリを立てて応戦。ただし、スミスの直近の4/26エントリに反論するというよりは、専ら最初の4/18エントリの「誤り」を批判することに終始。
  • スミスが5/11エントリで再反論。
  • EoCが5/13に再反論。
  • スミスが5/18エントリで再々反論。


残念ながら両者のやり取りは紳士的とは呼べず、個人攻撃に堕している部分も見られるが、それはおそらく、議論の内容が両者の金融実務のプロとしての矜持をいたく刺激するものだったからだろう。その分、興味深い話題であるという見方もできるかもしれない。


なお、議論のきっかけとなったのは、ドッド・フランク法の下での処理における海外現法の扱いであった。その点に関する両者の言い分は概ね以下の通り。

スミス@4/18
リーマンの英国法人(Lehman Brothers International (Europe)=LBIE)は英国に管轄権があり、米国の法律だけでは処理できないのに、FDICレポートではそれを無視している。
EoC@4/25
バークレイズが整理担当当局の監督下でリーマン本体(Lehman Brothers Holdings Inc.=LBHI)を買ってしまえば、LBIEはほぼ全額リーマンが出資しているのだから、LBIEが英国で破産申請をする必要は無く、そうした管轄問題は避けられる。それがそもそも、従来は担当が存在しなかった金融機関についてもドッド・フランク法の第2章(Title II)に基づいて整理担当当局(orderly liquidation authority)を定めることのメリット。
スミス@4/26
(スミスがこの件で共同戦線を張っている国際金融の専門家の)サタジット・ダス(Satyajit Das)は、私信で以下の5点を指摘している:
    1. リーマンはLBSF(Lehman Brothers Special Financing)のようなビークル会社やスイス法人も通じてデリバティブを扱っていた。
    2. LBIEもLBSFもリーマン本体の全額出資だったとは思われない。取引の一部を保証していたかもしれないが、全部ではないだろう。ということは、それぞれの現地法人について、デリバティブの取引相手を含めた独自の債権者がいたということだ。そうした債権者が、整理形態が変わったからといって自分の本来の取り分が減るのを指をくわえて眺めているとは考えられない。
    3. また、そうした現地の債権者の権利は、リーマン本体の株主としての権利に優先する。整理形態が変わったからといって、その優先順位は変わらない。
    4. 英国の法律の下での契約が数多くあったはず。法律間での破産の際の権利には違いがあり、どの整理形態を取ろうが、問題の大きさと複雑さを考えれば、権利関係を巡る闘いは熾烈を極めることになる。
    5. 債権者は、ドッド・フランク法にお構い無しに、現地の法律に基づいて破産管財人を任命して自分の権利を保護しようとするだろう。むしろ、ドッド・フランク法の整理担当当局の仕組みは、海外におけるそうした対抗措置の動きを早めるだろう。
EoC@5/8
ドッド・フランク法の下では、デリバティブ取引が取引相手から破棄されることは無い。ドッド・フランク法の210(c)(10)(B)*2では、FDICがリーマンを引き受けた後の一日は取引相手が契約を破棄することを禁じており、これはISDAマスター契約の自動期限前終了(Automatic Early Termination)の権利に優先する。また、FDICのリーマン引き受け後すぐにデリバティブ契約は買収先(バークレイズ)に移管されるので、取引相手にはその暇もない。
私はLBIEが全額出資だと言ったわけではない。ただ、日々の資金繰りの大部分をリーマン本社に頼っていたことは、この証言からも明らかである。


また議論の後半では、そもそもバークレイズにリーマンを買う意思があったかどうか、という点が一つの焦点となった。

スミス@5/11
英国金融サービス機構(FSA)の文書にあるように、バークレイズには、(JPモルガンベア・スターンズを買った時のように)当局の支援抜きですべての取引契約の履行義務を負うべし、という当時のガイトナーNY連銀総裁の要求に応じる意思は無かった。
EoC@5/13
その文書が示しているのは、そうした要求に応じる意思をバークレイズが持っていなかった、ということでは無い。上場規則により、そうした契約履行の保証をするためには株主の同意が必要になるが、その上場規則の適用を今回は見送って欲しいとバークレイズがFSAに要望した、ということである。しかしFSAはその要望に応じず、その結果バークレイズのリーマン買収は頓挫した。


そしてもう一つ話題になったのは、FDICの考えているような整理が秘密裏に遂行できるか、という点である。

スミス@4/18
FDICのレポートでは、リーマンの処理に90日掛けられることが想定されているが、情報の漏洩を考えると、それだけ時間が掛けられると考えるのは非現実的。情報が社内に広まれば、社内の有能な人材が場合によってはチームごと流出し、企業価値がどんどん下がっていってしまうだろう。
EoC@5/8
スミスの言っていることはナンセンス。というのは:
    1. ドッド・フランク法の第1章の規定により、FDICは既にリーマンに人員を派遣しているはず。整理を実際に開始する際にFDICがリーマンに開示を要求する情報は、通常のルーチンの監査時に要求する情報と何ら変わりない。
    2. M&Aのような市場を大きく動かす情報が漏洩せずに保持される、というのは日常茶飯事。セキュリティを確保したデータ室を用意し、人々に厳格なNDAに署名させるのはそれほど難しいことではない。
    3. 2008年にNY連銀は検査官をリーマンに派遣し、その流動性の状況を日々ガイトナーとポールソンに報告させていたが、その情報が市場に伝わってパニックを起こすということはついぞ無かった。
スミス@5/11
確かに2008年にはFRBは2人、SECは1人をリーマンに送り込んでいた。しかし実際に債務履行可能性の評価や取引の手続きを策定するとなると、一桁も二桁も大きい人数が必要となる。それを隠し通すのは難しい。また、M&Aの情報は常に保たれるとEoCは言うが、大企業や関係者の多い買収では必ずしもそうではない。このケースの場合は、規制当局の事前審査やら役員会での経営陣への突き上げやら7月の自己資本の増強の期限やらの騒ぎの中にFDICが登場するわけだから、隠蔽はほぼ不可能。
ベア・スターンズの場合には、欧州での取り付け騒ぎの話が広まってから実際に救済が不可避になるまで10日しか掛からなかった。往々にして市場が当局に手を打つことを余儀無くさせるのだ。
EoC@5/13
繰り返しになるが、ドッド・フランク法の第1章の規定により、既にリーマンにはFDICの人員が常駐しているはず。その人員は、整理前のデュー・デリジェンスで要求するのと同じ情報を定期的に要求している。従って、それまでリーマンにはFDICの人間は誰もいなかったのに、ある日突然どかどかと現われて整理の手続きを始める、というわけではない。


ちなみにスミスは、90日というFDICのレポートで想定した期間と時機について、秘密保持の問題以外に以下の問題点を指摘している。

  • レポートでは2008年3月開始となっているが、それはベア・スターンズが片付いて一件落着の雰囲気が広まっていた時期であり、現実的ではない。
  • リーマンのファルドCEOはFDICによる整理解体に頑として抵抗していたであろうから、解任せざるを得なかっただろう。そうした騒動がある中で90日の時間を掛けて買い手を探す、というシナリオは、やはり無理がある。
  • デュー・デリジェンスに90日も時間を掛けるというのは投資銀行の場合は悠長に過ぎる。
  • リーマンの場合は、破綻後に明らかになったようにバランスシートの穴は当初想定されたよりも大きかったので、徹底したデュー・デリジェンスを行っていればそれがますます炙り出されていただろうという皮肉な状況にあった。

要するに、スミスがリーマンの現実の問題点を取り上げてFDICのシミュレーションの非現実性を指摘しているのに対し、EoCがFDICの(スミスに言わせれば)楽観的な見方を支持している、という構図になっているわけだ。小生の感想としては、両者の根本的な相違は、やはりバークレイズの真意はどこにあったのか、という読みの違いに帰着するように思われる。仮にEoCの言う通りバークレイズはリーマンを買収する気まんまんで、単にFSAに水を差されたために買えなかったのだとしたら、FDICの想定が成立するためには、米側でドッド・フランク法に基づいてFDICが整理を仕切っていたらFSAの気が変わっていた、という前提が必要になる。だが、その根拠をEoCは特に示していない。5/8エントリで、FDICならばそういう買収の枠組みを作り得たとレポート言っているからそうなのだ、と書いているが、それだけではさすがに根拠として薄弱なように思われる。


この点についてスミスは、5/18エントリで、BISやFSAも国際協調に過大な期待を寄せることを戒めている、と指摘すると同時に、大手金融機関の国際組織であるInstitute for International Financeもドッド・フランクの第2章における国際協調の問題にレポートで懸念を表明していることを指摘している。

*1:Mostly Economicsがこのレポートの概要を紹介している

*2:該当部を法案から引用しておくと、以下の通り:
(B) CERTAIN RIGHTS NOT ENFORCEABLE.—
 (i) RECEIVERSHIP.—A person who is a party to a qualified financial contract with a covered financial company may not exercise any right that such person has to terminate, liquidate, or net such contract under paragraph (8)(A) solely by reason of or incidental to the appointment under this section of the Corporation as receiver for the covered financial company (or the insolvency or financial condition of the covered financial company for which the Corporation has been appointed as receiver)—
  (I) until 5:00 p.m. (eastern time) on the business day following the date of the appointment; or
  (II) after the person has received notice that the contract has been transferred pursuant to paragraph (9)(A).
 (ii) NOTICE.—For purposes of this paragraph, the Corporation as receiver for a covered financial company shall be deemed to have notified a person who is a party to a qualified financial contract with such covered financial company, if the Corporation has taken steps reasonably calculated to provide notice to such person by the time specified in subparagraph (A).