電力供給問題に関する一愚考

今夏に東日本が直面する電力の供給制約問題に関して、現在計画されているような需要サイドの単純な一律削減策ではなく、価格メカニズムを導入してはどうか、という提言が経済学者よりなされている(cf. ここ)。市場メカニズムの導入という点では確かにいかにも経済学的で、単純な数量割り当てに比べて経済全体の効率性を高める案のように思われるが、一方で、こちらで指摘されているような制度導入のコストのほかに、価格安定性の放棄という犠牲も伴う。以下に、その得失を簡単な表にまとめてみた。

制度 価格の安定性 数量の安定性 停電の抑止 市場メカニズム
供給制約無し ×
数量割り当ての導入 ×
価格メカニズムの導入 ×


1行目の従来の供給制約がほぼ無い状況下では、価格は原油価格の高騰といった外生的要因を除けば安定性を維持しており、停電が起きない場合に各需要者が必要とする電力(ここでは数量と表記)の入手に関しても、(猛暑の特定の時期を除けば)問題は無かった。停電の抑止に関しても、ほぼ理想的な状況を達成していた。


それに対し、現在計画されているような事実上の数量割り当ての導入では、価格の安定性は確保できるものの、数量の安定性は低下することになる。そして、停電の危険は当然ながら以前より高まる。


価格メカニズムを導入した場合、価格は需給によって決まるようになるので、安定性は失われる。数量は基本的に金さえ払えば確保できるが、その価格によっては需要家が入手を断念するようになるので、供給制約が無い場合に比べてやはり安定性は下がる。
また、停電の抑止という点については、直接的に需要数量に制約を掛けるのではなく、価格を通じた間接的な制約になるので、需要曲線の読み誤りという要因が絡んでくる。そのため、停電の危険性は数量割り当ての場合より高まると考えられる。
ここで注意すべきは、通常の需要超過の場合は、一部の需要者が数量を入手できず、結果として価格が上昇し、需給均衡を取り戻す、という過程を取るのに対し、電力需給の場合は、需要超過が即停電につながる点である。即ち、需要超過が生じると、後から入ってきた需要者のみならず、すべての需要者が一旦市場から締め出されてしまう。通常の需給分析では出てこないそのコストは、馬鹿にならないものと思われる(…というか、それを如何にして避けるか、というのがそもそもの議論の出発点のはず)。


ただ、そうした犠牲を払っても、この制度では、市場メカニズムという経済学者にとっての金科玉条とも言うべき仕組みが手に入る。それによって資源の効率的な配分が達成される、というのが経済学の教えるところである。ただ、それについても、以下の考慮すべき点があるように思われる。

  • 長期と短期の問題
    • 供給制約が長期に亘る、ないし永続的なものであれば、価格メカニズムの導入も意味を持つだろう。ただ、今回の供給制約が例えば来年には解消されるものであれば、価格メカニズム導入のコストと便益を比較衡量する必要があるのではないか。
    • 例えば、海外との間の資本移動の規制は市場メカニズムに反するものだが、ここで紹介したように、為替の乱高下を防ぐ一時的な手段としては有効ではないか、という意見が最近のIMFのコンファレンスでも出ている。今回の数量割り当てもそうした緊急避難的な措置と考えれば、反経済学的として断罪するのは必ずしも当たらないのではないか。
    • 一般に市場メカニズム導入の美点として称揚される点には、前述した資源の効率的配分の達成のほかに、供給独占下で高止まりしていた価格を下げて消費者の効用を高める、というものがある。ただ、今回は価格を高めて消費者を減らそう、というようにそもそも目的が正反対なので、その点は最初から完全に放棄している。
    • 最終的には供給者側にも市場メカニズムを導入して価格を低下させよう、というのが市場主義者の主張するところであるが*1、上表で指摘したように、それは価格の安定性の放棄と表裏一体である。その最悪の例の一つが、クルーグマンがいち早く問題点を指摘したことで有名なカリフォルニアの電力危機。

*1:それによって、独占的供給者のモラルハザードの悪化を防ぐという効果が働くという指摘もあるが、一方でコスト削減圧力が働くことにもなり、安全性という観点から見た場合に実際にそれがどれだけ有効かは不明。