学界ブロガーは何を目指しているか?

昨日に続きNYTネタ。


デロングがNYTのPamela Paulから取材の申し込みをeメールで受けたという。彼女は、最も著名かつ影響力のある学者ブロガーについての記事を企画しており、既に以下の6人にインタビューしたとの由(注:リンクは小生が付与)。

デロングが7人目で、インタビューに応じて貰えなくても記事で取り上げるつもりだが、5分以内に収めるので、是非応じて欲しい、とPaulは要請している。


これに対しデロングは次のような内容の返事を返したとの由。

  • Paulの挙げた7つのうち以下の2つは対象外とすべきというのが当方のコンセンサス:
    • Glenn Reynoldsは2000年代前半は結構だったが、今はブログというよりRSSフィードと化している。
    • Becker/Posnerは、新しい形のコミュニケーションにチャレンジしているというよりは、自分たちの確立した名声を食い潰しているだけ。


その上でデロングは、全部引用するかまったく引用しないかというオール・オア・ナッシングの条件付きで、以下のコメントを提供している。

The best of us webloggers try to shift America's public sphere from celebrity gossiip toward policy substance. Back in 2004 Greg Mankiw was caught in an absurd media firestorm as "reporters... [who] universally acknowledged in private that [Mankiw's remarks were] correct and unremarkable" [felt] "as journalists... obligated to cover the political reaction" without foregrounding the policy substance. Why? Because foregrounding the substance would have made both Dennis Hastert and John Kerry look like idiots--which few reporters and no editors dared do. It would be a better world if we could stomp that kind of thing out, and we are trying.
(拙訳)
我々ブロガーの最良の者たちが試みているのは、米国の公共空間の指向を有名人のゴシップから政策の中身に変えることである。2004年当時、グレッグ・マンキューはメディアの馬鹿げた集中砲火を浴びた。「記者たちは・・・皆、個人的には[マンキューのコメントは]正しく、問題になるようなものではないと分かっていたが」、政策の中身を表立って論じることはせずに、「ジャーナリストとして・・・政治的反応を報道するべきだ」[と感じた]。 なぜか? その理由は、中身を表立って論じれば、デニス・ハスタートジョン・ケリーを馬鹿みたいに見せてしまうからだ。それを敢えてやる勇気のある記者はほとんどおらず、編集者は皆無だった。もしそうした事がもう起きないようにできれば、世界はより良くなるに違いない。それが我々のやろうとしていることだ。

ここでデロングが引き合いに出しているマンキューが集中砲火を浴びた一件とは、当時CEA委員長だったマンキューが、オフショアリングを比較優位論の考え方から擁護する発言を行なった件を指す。文中の引用部分は、マンキューとPhillip SwagelのNBER論文が出所らしい(H/T デロングの2006/8/5エントリ*2)。


なお、デロングは、エントリの末尾で、Paulが3年前に書いたHuffington Post記事を彼女に関する参考資料として提示しているが、そこでPaulは、若者の創造力を高めるために玩具の値段を上げよ、と書いている。

*1:原文ではMankiewと綴りを間違えている。

*2:2004年当時のデロングの反応はここ。この件に関する日本語の記事や解説は例えばここここここここを参照。