NYTは日本叩きのために報道と論説の区分を放棄した

とディーン・ベーカーが書いている(原題は「NYT Abandons Distinction Between News and Editorials to Bash Japan」)*1。彼の批判の対象となったのは1/28付けのこの記事で、既に抄訳されている方もいる(H/T 池田信夫氏のツイート)。


ベーカーの批判を箇条書きにまとめると以下の通り。

  • 日本が生産性向上を必死で追求する必要があるという一節は、ニュース記事ではなく論説記事で書かれるべき文章である。日本にその必要があるという話は、別に周知の事実では無い。生産性向上は一般に良いことではあるが、必死に追い求めるべき理由となる証拠をこの記事は何ら提示していない(S&Pの格下げについて触れているが、同社は何千億ドルというジャンクMBSにトリプルAを与えたことで有名。そうした履歴に鑑みると、この格付け会社の判断は、どうしようもない道端の飲んだくれに劣ると言わざるを得ない)。
  • 記事が実際に提示している証拠は、むしろ逆のことを示唆している。記事の主眼は若年層に仕事が無いということなので、それは即ち、日本には余剰労働力があるということである。ということは、別に日本は生産性を必死で向上させる必要も無いし、高齢化による問題も抱えていない、ということである。誰かの能力が使われないことは確かに無駄ではあるが、それは記事の指摘する人口の高齢化とは何ら関係無い。
  • より明らかな問題は、経済が需要不足に苦しんでいることである。それは政府支出の増加で和らげることができる。そうした財政出動は、S&Pの足元の覚束ない飲んだくれの格付け人によるさらなる格下げを招くかもしれないが、人々がお金を稼ぐために働くという経済理論によれば経済を押し上げることになる。
  • (飲んだくれの格付け人の妄想に反して)日本が何ら実体経済上の限界に近づいているわけではないことは、記事で報告されているデフレーションによって証拠立てられている。債務による資金調達の限界に近づいている国ならば、デフレではなくインフレを経験しているはずである。即ち、日本には若年層の仕事の創出ないし助成のために巨額の支出を行なう余裕がある、と信ずべき理由が十分に存在する。その支出を賄う国債は単に中央銀行が買い持ちすれば良い。
  • 記事では高齢化によって消費が抑制され、それがデフレを招くと書かれているが、それは経済学者の通常の予言とは正反対である。高齢者は就労時に蓄えた富を取り崩すので、貯蓄率は低くなる。労働人口の割合が少なくなることは、消費がGDPの割合として大きくなり過ぎるのではないか、という懸念を招くのが普通である。このことはデフレではなくインフレにつながる。
  • 記事には、今日生まれる子供は、今日引退する人に比べ、生涯で受領する年金や医療やその他政府支出は120万ドル少ない、と書かれているが、その計算根拠が示されていない。米国の中所得者の社会保障とメディケアの給付が合わせて41.7万ドルであること、および日本が米国ほど富裕ではないことを考えると、その3倍に及ぶ給付を払い出しできるとは信じ難い*2

[お知らせ]

昨日のエントリに今回のS&Pによる日本国債格下げについてのコメントを頂いたが、エントリ内容とまったく関係ないので削除させていただいた。もし今日のエントリに同じコメントが付いていたら削除しなかったはずである。今後もコメントは内容的に関係するエントリにして頂くようお願いしたい(ただし、あまり無いとは思うが、小生に連絡ないし通知したいことがある場合はその限りでは無い)。

*1:ちなみに奇しくも同日にアンドリュー・ゲルマンがまったく別の記事に関して同様の批判をNYTに投げ掛けている

*2:これについてはコメント欄で2005年の経済白書における内閣府の試算(本文)を示しておいた(ちなみに日本語版はこちら(本文)こちら(図);H/T ぐぐって見つけた小黒一正氏のアゴラ記事)。