コース経済学こそ本来の経済学

北京天則経済研究所(Unirule Institute of Economics)のHPに、ロナルド・コースのインタビューが掲載されている(H/T Mostly Economics;最終版は(おそらく)こちら)。


コースは昨年の12月29日に100歳の誕生日を迎えたが、同日に天則研究所は北京、上海、シカゴを結んで記念のコンファレンスを開いた。また、「Coase China Society」という協会が新たに設立され、このインタビューは同協会が行なった、という形を取っている。インタビュアーはアリゾナ州立大学のNing Wangで、彼は現職に就く前にシカゴ大学でコースに師事しているほか、近々に以下の共著本も出版するという。インタビューは12月28日と29日に行なわれたとの由。

How China Became Capitalist. Ronald Coase and Ning Wang

How China Became Capitalist. Ronald Coase and Ning Wang


Wangはまず、前述のコンファレンスに触れ、中国でこれだけ称賛された西洋の経済学者はカール・マルクス以外にいないだろう、と述べている。その理由として彼は、コース理論のそもそもの影響力のほかに、コースが中国に強い関心を寄せてきたことを挙げている。それが、返報を重んじる中国の人々の琴線に触れた、というわけだ。なぜ中国に関心を持ったのか、という問いに対しコースは、少年時代に読んだマルコ・ポーロの影響だ、と答えている。


それからインタビューは、コースとSteven Cheung(張五常)*1との交流に触れ、Cheungがワシントン大学に移籍せずにシカゴに残っていたら、コース経済学の影響力もまた違ったものになっていたのではないか、とWangが述べたのに対し、コースもそれを肯定している。ただ、彼が香港に行くことを勧めたのはコースであり、現在の中国での彼の影響力に鑑みると、それは正しい勧奨だった、とコースは述懐している。


その後に、コースの経済学について、以下のようなやり取りがなされている。

WN: You mentioned many times that you do not like the term, "Coasean economics", and prefer to call it simply the "right economics" or "good economics". What separates the good from bad, the right from wrong?
RC: The bad or wrong economics is what I called the "blackboard economics". It does not study the real world economy. Instead, its efforts are on an imaginary world that exists only in the mind of economists, for example, the zero-transaction cost world.
Ideas and imaginations are terribly important in economic research or any pursuit of science. But the subject of study has to be real.
WN: Since the Coase China Society is named after you, we cannot avoid using Coasean altogether.
RC: I do not like the term Coasean economics. The right economics that I have in mind, or what you called Coasen economics, is what economics ought to be.


(拙訳)

インタビュアー
貴兄は「コーシアン経済学」という言葉が嫌いで、単に「正しい経済学」ないし「良い経済学」と呼びたい、と何度もおっしゃっています。何が良い経済学と悪い経済学、正しい経済学と間違った経済学を分けるのでしょう?
コース
悪い経済学ないし間違った経済学は、私が「黒板経済学」と呼ぶものです。それは現実世界の経済を研究対象としません。その代わり、取引費用ゼロの世界といった、経済学者の頭の中にだけ存在している虚構の世界について研究しているのです。
概念や想像は、経済学のみならずあらゆる科学の研究にとって極めて重要なものです。しかし、研究対象は現実であるべきです。
インタビュアー
コース中国協会という名称は貴兄に因んで付けられたので、コーシアンという言葉をまったく使わないわけにはいきませんが。
コース
コーシアン経済学という言葉は好きではありませんね。私の思う正しい経済学、ないし貴兄がコーシアン経済学と呼ぶものは、経済学が本来あるべき姿なのです。


インタビューの後半では、コースが中国の経済学に寄せる期待を表明し、発破を掛けている。その概要は以下の通り。

  • 中国の経済学の将来に期待を寄せる理由は、中国の人口の多さにある。新しいアイディアは常に少数派だが、中国では少数派でさえ大人数となる。
  • また、現在の中国が新しいアイディアにオープンであることも、期待する理由の一つ。古いアイディアは捨てられ、新しいアイディアはまだ現われていない。良い経済学も悪い経済学も中国で発展する余地がある。我々は良い経済学が席巻することを願っている。
  • 中国の市場転換の経験から学ぶべきことは未だ数多くある。今後の中国の市場経済の行く末から学ぶべきことはさらに多いだろう。こうした課題に中国の経済学者が取り組めば、経済学の発展に貢献することになる。かつて、経済学は主に英国のものだった。今は主に米国のものになっている。中国の経済学者がきちんと取り組めば、今後は中国のものとなるだろう。
  • 私の思うところの正しい経済学が中国で発展すれば、将来の歴史家はそれを(コーシアン経済学ではなく)中国学派という正しい名称で呼ぶようになるだろう。
  • ただ、権威への服従は中国人の悪い癖だ。中国の経済学者は中国の市場経済の働きを丹念に系統立てて研究し、自らの考えを発展させるべきである。「企業の本質」や「社会的費用の問題」といった私の研究は、中国の経済学者が取り組むべき問題への解答を提供しない。そういった私の研究や、あるいは他の経済学者の研究は、問題に取り組むべき方向性を示すだけである。
  • 中国の経済を研究する手段としては、歴史的、統計的、分析的といった各手法が考えられるが、いずれの手法を採るにせよ、中国の経済の実際の働きに基づくべきである。それは相対性理論ほど難しい話では無いかもしれないが、それでも、経済のシステムの働きというのは複雑なものである。構成要素が多々存在する上に、各要素がそれ自身でミニシステムを形成しており、それらが互いに相互作用しながら全体のシステムが動くというのは、非常に複雑な話なのだ。単に集約した統計データを回帰分析に掛けるだけでは、経済の働きを掴むことはあまりできない。
  • 協会が中国における正しい経済学の発展を手助けする一つの方法は、学術誌を創刊することである。私が「Journal of Law and Economics」の編集長だった時は、セミナーやコンファレンスに出席し、興味深い研究をしている人がいると投稿を依頼した。また、掲載を約束して研究を促すことも良くあった。大抵の学術誌においては、論文の投稿を座して待ち、その後に外部の査閲によって掲載の可否を決めるのが常だが、私はそういった方法を取らなかった。私は自分がどういった論文を掲載したいのか分かっており、それを書く人々を自分の足で探した。
    (そうした活動で自分の研究が犠牲になったのではないか、という質問に対し)その点についてはまったく後悔していない。それが私がシカゴに来た主な目的であり、この分野を発展させる唯一の方法であった。同誌無しには日の目を見なかった論文は数多くある。
  • (協会が学術誌を創刊する際の助言を求められたのに対し)自分たちが何を達成したいのか、どういった論文を掲載したいのか、どういった研究を促進したいのかについて明確なビジョンを持つこと。他人の考えはコントロールできないし、自分のアイディアで経済学を独占することもできないのだから、そうしたビジョンについてとやかく言われても気にするべきではない。もし自分のビジョンが正しいと確信しているならば、自分が間違っていることが証明されたと納得しない限り、アイディアの市場*2でそれを強く擁護し、かつ売り込んでいくべきだ。それが独立性を保つ唯一の道である。
  • (コースが「Journal of Law and Economics」の編集長を務めていた時、既に名声を確立していたではないか、という問い掛けに対し)だからと言って自分の言うことに常に耳を傾けてもらえたとは思わない。私は常に主流派の見解とは反対の立場だった。今日でも、私の言うことは主流派に受け容れられていない。協会の成功には別に第二のコースは必要無い。CheungもWangもいるではないか。

なお、インタビューの中でコースは、私有財産権について以下のような見解を示している。

WN: ...many people have said that China has succeeded in transforming itself from a planned economy to a market economy without private property rights. How could that happen?
RC: All economies have different systems of property rights. The common classification of private versus public property rights, the former associated with capitalism and the latter with socialism, is too simplified a view. Britain and America have different systems of property rights. China under Mao and the Soviet Union were also different in the ways property rights were structured. A good system of property rights is the one that economic resources, including human talents, are efficiently utilized. I think China will develop its own system of property rights. Whether you call it socialist or capitalist does not matter.


(拙訳)

インタビュアー
・・・中国の計画経済から市場経済への転換が、私有財産権抜きで達成されたことを多くの人が指摘しています。なぜそれが可能だったのでしょうか?
コース
各国経済はそれぞれ異なった財産権の体系を持っています。私有財産権と公有財産権という一般的な分類、および、前者を資本主義、後者を社会主義と関連付けるのは、あまりにも単純化された見方です。英国と米国の財産権の体系は違います。毛沢東時代の中国とソビエト連邦の財産権の体系も違っていました。財産権の良い体系とは、人間の能力を含む経済資源が効率的に利用されるものです。中国は独自の財産権の体系を発展させていくだろうと思います。それを社会主義的と呼ぶか、それとも資本主義的と呼ぶかは、大した問題ではありません*3

*1:cf. 関志雄氏による紹介

*2:インタビューの中盤でコースは、人間は思想が原因で殺し合う唯一の生き物である、というWangの言葉を受けて、だからこそアイディアの市場が必要なのだ、殺し合うのではなく市場で思想を競い合わせるべきなのだ、と応じている。そして、ならばそうした市場を育成して社会秩序を保つのが政府の第一の役割ということになるのではないか、というWangの言葉を肯定している(このWangの言葉は現中国政府への間接的な批判という気もする)。

*3:ちなみにここで紹介したロドリックは以下のように書いている:
It stands to reason that an entrepreneur would not have the incentive to accumulate and innovate unless s/he has adequate control over the return to the assets that are thereby produced or improved.
Note that the key word is "control" rather than "ownership."Formal property rights do not count for much if they do not confer control rights. By the same token, sufficiently strong control rights may do the trick even in the absence of formal property rights. Russia today represents a case where shareholders have property rights but often lack effective control over enterprises. Town and village enterprises (TVEs) in China are an example where control rights have spurred entrepreneurial activity despite the absence of clearly defined property rights. As these instances illustrate, establishing "property rights" is rarely a matter of just passing a piece of legislation. Legislation in itself is neither necessary nor sufficient for the provision of the secure control rights. In practice, control rights are upheld by a combination of legislation, private enforcement, and custom and tradition. They may be distributed more narrowly or more diffusely than property rights. Stakeholders can matter as much as shareholders.