名目GDP先物と日本の信用取引

最近、名目GDP先物を取り上げたBill Woolseyの12/16エントリのコメント欄で、彼と少しばかりやり取りをするということがあった。その際、そういえば現在の日本の個別株の信用取引制度が今のような形になったのはGHQのせいだ、という話を瀬川美能留氏の「私の証券昭和史 (私の昭和史シリーズ)」で読んだことがあったな、と思って久々に同書を引っ張り出したところ、確かにそのような記述があった。記録のため、少し長くなるが、以下に、該当の記述が含まれる3章の最後の部分を引用しておく。

こうして、着々と取引所再開への条件が整ってきたことから、政府は文書でGHQに対し再三、市場再開を要望した。やがて年が明け、二四年一月にGHQより回答があり、「経済再建促進計画の一助として、日本における統制下の証券市場の再開が許可されるであろう」と発表された。そして、私どもが提出した各取引所の定款、業務規定、上場規定などについて詳細な検討を行ない、いわゆる「市場九原則」が提示された。
そのときのエピソードを紹介すると、東証を再開するに当たって、私ども業者が集まって研究会をもち、定款などを決めることになった。そのとき模範にしたのはニューヨークではなく、サンフランシスコ取引所であった。そのころは、ニューヨーク取引所といえば東京とはケタ違いであり、とても参考となる対象ではなかった。
同取引所の定款によると、営業時間は午前九時から午後三時まで、その間休憩なしのぶっ続けで場が開かれ昼休みがない。われわれも「それで行こう」という案を出したところ、ある中堅証券会社の社長が、
「なんという案だ。人に昼メシを食わさないつもりか」
と食い下がられ、それで九時から一一時、午後は一時から三時半ということに決まった。「アメリカどおりにやれ」というGHQの意向からいって、昼休みなしでも別に不思議に思わなかったが、いま考えると、この社長の反対があってよかったと思う。
それはともかく「市場九原則」が提示されたあと、GHQのボイラン証券担当官が大阪証券取引所を視察した。取引所との会談の席上で、取引所側から、
「大阪、東京とも売買仕法、とくに仕切売買の禁止を撤回してもらえないか」
と頼んだところ、逆に相手側を硬化させ、最低要件として「三原則」なるものを証券取引委員会に示した。その三原則とは、
(一)、取引所における取引きは、すべて、その行なわれた順序に従い、時間的に記録されること
(二)、会員は上場銘柄の取引きについて、原則として、すべて取引所においてこれを行なうこと
(三)、先物取引を行なわないこと
このうち、(三)は別として、(一)は技術的にむずかしいことであった。従来の集団取引では、一分間に三〇〜四〇件の取引きが成立していたが、それを取引きが行なわれた順序に、成立した時刻をタイムレコーダで記録すると同時に、その価格を立会場に掲示することは容易ではなかった。しかし、この原則はその目的が注文委託者の保護にある以上、GHQとしても強く求めた。
(二)の原則は、それまでの慣行として、証券業者の店頭で行なわれていた仕切売買を廃止させるものであった。つまり、上場銘柄のすべての取引を取引所に集中し、公正妥当な価格を形成させることに狙いがあった。この(一)、(二)はいずれも、これまでの慣行を廃棄し、投資家保護を前面に出したものであった。
GHQがなぜ、この三原則を出したかの経緯については、こんな話も伝わっている。それは証券行政担当官であったアダムズ氏が、サンフランシスコ取引所の正会員であったこともあり、彼は日本経済はさして大きくならないし、東京証券取引所もサンフランシスコ取引所程度で十分だろうから、それを真似すればいいと考えていた、という。
結局、この三原則は呑まざるをえなかったが、私ども証券会社の立場からは、必ずしも賛成できるものではなかった。第一に、戦前は公社債はもちろんのこと、株式取扱についても店頭取引が大々的に行なわれ、それが大きなウェイトを占めていたことである。
第二に、戦前は清算取引*1が行なわれていて、それが未開拓の証券市場を、いい意味で拡大していたことである。これに対し、三原則はこうした戦前の取引きの慣行のメリットをなくしてしまうことになる。このため、われわれはどう市場を拡大していくかで非常に苦労することとなった。いま考えても、清算取引など、より自由な形で許されて然るべきだったと思っている。
第三に、時間優先の原則というのは、悪平等の典型といっていいと思われる。この原則によれば、たとえば一〇〇〇株の売りが先にきて、その直後に同じ値段で一〇〇万株の買いがくれば、一〇〇〇株と一〇〇万株とをつけ合わさざるをえない。ところがそのあとで同じ値段で一〇〇万株の売りがきても、一〇〇万株同士をつけ合わせられないからである。
現に、こうした厳格な規制をされたため、大口取引はほとんど場外に逃げてしまって、市場に入ってこない。この時間優先と取引所への取引集中という原則のため、市場を非常に小さくしてしまったのである。幸い日本経済はその後、高度成長を遂げ、証券市場は拡大し面目を一新はしたのだが……。
その後GHQは、レギュラー・ウェイというアメリカの証券金融取引を真似した信用取引を許可したが、これはGHQあるいは日本政府の考え方からいえば、先物取引に金融をつけ、先物取引を取引所内では実物取引にしていこう、というところに狙いがあった。
レギュラー・ウェイというのは、アメリカにおける売買取引の手法で、日本の普通取引にあたる。日本の信用取引の範となったアメリカのマージン取引(証拠金取引)が、取引所取引としてはレギュラー・ウェイを基本にしていたため、マージン取引のことを、当時はレギュラー・ウェイと呼んでいた。
しかし、信用取引に対する金融としては、日本銀行の資金、あるいは市中銀行の資金を使うため、資金の限度というものが常につきまとう。つまり、株式市場がやや過熱してくると、資金の供給がストップされる、あるいは金利を上げるというケースがしばしばでてくる。
この占領当初の三原則が、現在でも株式市場の底辺で基本的に適用されているわけだが、このため、証券市場はいぜんとして他の金融市場などに比べ、規模が相対的に伸び悩み傾向にある点は否定できない。金融自由化時代を迎えて、改善すべき余地が残されていると思われてならない。
ところで当時、清算取引復活の動きが関西から出ていた。しかし、東京サイドでは山一の小池厚之助氏、日興の遠山元一氏、それに大蔵省あたりが、アメリカ式現物取引主義でいかなければならないということで、東西でかなりやりとりがあったとされている。しかも、関西筋は野村證券がその音頭をとったということが、もっぱら伝えられていたようである。
しかし、野村としてはバクチになりかねない清算取引を許せといったのではない。戦後の取引所というのは、現物取引を中心にして動いていくとしても、小さな経済を予測し、がんじがらめな規制をし、サンフランシスコ取引所程度のものを真似してやれという、そうした思想に反対しただけである。つまり、あくまでも市場規模を拡大する一手段としての清算取引を主張したのである。そのへんの事情については、今日、大方の理解がえられると思う。


この本の出版は1986/11/27であるが、それから12年後の1998年10月、取引所集中義務は撤廃された(米国に遅れること23年)。また、1987年には株価指数先物も開始されているが、個別株については依然として信用取引先物取引の役割を果たしている。
この信用取引が通常の先物取引と決定的に違うのは、上述の通り、取引所内ではあくまでも現物取引である、という点である。即ち、通常の先物取引で実際に資金のやり取りが発生するのは期日時点の差金決済のみであるのに対し、信用取引では、現時点の売買と期日時点の反対売買という2つの時点における各取引が取引所内で実際に行なわれる。それに伴い、その2時点間の株式や資金の貸借関係が生じ、貸借料がきっちりと発生する(詳しくはwikipedia等を参照)。


なぜWoolseyと名目GDP先物についてやり取りしている最中にこうした話を想起したのか?

Woolseyは同エントリの中でデロングの名目GDP先物論*2を批判したのだが、その批判の一つは、先物取引では満期時点にしか資金のやり取りが発生しないのに対し、デロングは恰も取引時点で資金のやり取りが生じるように論じている、という点に向けられていた*3。それに対し小生が、ならば日本の信用取引のように取引時点でも資金のやり取りが発生するようにすれば良いではないか、とコメントしたというのが事の経緯である。
その場合、もし名目GDPの先行きに対して皆が強気になって買いが強くなると、名目GDP先物の市場規模が十分に大きければ、瀬川氏の描写する「市場がやや過熱してくると、資金の供給がストップされる、あるいは金利を上げるという」状況が出現し、名目GDPのオーバーシュートを防ぐ方向の調整がなされることになる。一方、売りが強くなれば、中央銀行が買い方に回って資金を供給し、名目GDPを下支えすることになる。つまり名目GDP先物は、金融政策の指標としてだけ使われるのではなく、その市場自体が金融政策のツールとなる。デロングもおそらくそういった可能性を論じていたものと思われる。
これに対しWoolseyは、似たような取引として先渡し契約(=資金の授受を今実施し、現物の引渡しを将来実施する)が為替で重要な役割を果たしてきたことを指摘すると同時に、名目GDPの目標からの乖離を利回りとする債券の創設によりそうした取引が可能になるのではないか、と応じている。


なお、小生がもう一つWoolseyの議論に違和感を覚えたのは、名目GDP先物市場におけるプレイヤーとして投機家しか想定していない点である。そこで、企業が、自分の収益と名目GDPとの相関に基づいて、ヘッジ目的で参加することもあるのではないか、と指摘した。併せて、そもそもヘッジ取引の無い投機だけの先物市場が存続できるとは思えない、とも指摘した。
それに対しWoolseyは、企業の(おそらくは在庫の損失に対する)ヘッジ取引の可能性については追究すべきだろう、と応じてくれた*4。また、市場の存続可能性については、FRBが創設すれば存続はするだろう、誰も取引しないかもしれないが、と述べている(…いや、先生、それは存続していると言わないんじゃ…。あるいはギャグを言っているのか?)。

*1:ここも参照。

*2:これはサムナーのNational Reviewの論説を受けている。そのデロングのエントリに対するサムナーの反応はこちら邦訳)。また、Woolseyの批判に対するデロングの反応はこちら

*3:ただしWoolseyは、先物の委託保証金という経路で現在時点の貨幣供給に影響が生じる可能性を認め、それについて詳細に論じている。

*4:そうした話はルーカスのミスパーセプション論文に基づく局所情報を扱ったサムナーの最初の論文から直接に導出されるのではないか、との由。