フェルプス「問題は需要不足では無い」

今年の8月にエドムンド・フェルプスが景気回復に関するNYT論説を書いているジョン・テイラーの11/21ブログエントリ経由)。

以下はその概略。

  • 政府の景気対策は誤った前提に基づいている。彼らは現状を需要不足と診断しているが、実際には、デフレや流動性の大きな不足といった需要不足の症状ないし兆候は見られない。問題は、構造的欠陥にある。
  • 喩えるならば、需要不足に対する政府の対策は、転んだが怪我はしていないスケーターを助け起こすようなものである。しかし、実際には我々のスケーターは骨折しており、きちんとした治療が必要なのだ。
  • ただ、幸いなことに、過去10年間に受けた傷の一部は既に回復傾向が見られる。住宅やオフィスの過剰供給は改善しつつある。また、銀行や家計は急速に貯蓄を増やしているので、その過剰債務は今後10年以内に概ね解消するだろう。
  • しかし、それ以外の問題は自然治癒が見込めない:
  • 労働生産性の上昇に景気回復の期待をかける人も多いが、そういった職場の進歩は、雇用を創造する以上に破壊することの方が多い。実際、大恐慌時には、労働生産性の上昇によって新規雇用を生むことなく企業や経済が拡大した。
  • 問題は米国のダイナミズムだけでは無い。私が一体性(inclusion)と呼ぶものの低下も生じた。1990年代において経済発展から大きく取り残されたのは、低賃金労働者だけではなく、中産階級の多くもそうだった。その理由の一つは、新興国の伸張が米国の製造業の比較優位に終止符を打ち、仕事が海外に持っていかれたことにある。半面、新たな優位産業を見つけることができなかった。
  • 想像上の需要不足にのみ焦点を当てることの最大の欠点は、長期的課題に関して「構造的に考える」ことを止めてしまうこと。完全な景気回復を達成するためには、我々の広範な繁栄がどういった枠組みに基づいているかを理解する必要がある。即ち:
    • 高い雇用水準は、高い投資活動の水準に依存している。オフィスや設備といった有形資産や、新旧の被雇用者への教育、新製品開発への投資である。
    • 一方、持続的な投資は、企業の未来への確信に基づいている。経済の先行き不安や、政府の企業への敵意を感じたら、新規投資をためらうだろう。かつてケインズルーズベルト大統領に、利益を悪と見做すような言辞で企業の信頼感を傷つけてはいけない、と警告した*1。曰く、巨大企業を「狼虎としてではなく、本質的に家畜として」扱うべき、と。
  • では、何をなすべきか? 以下は改革案:
    • イノベーション第一国立銀行」を設立し、商業銀行が革新的なプロジェクトに投融資を行うネットワークを政府の支援の下で確立する。
    • 企業の役員の報酬を、企業の1年間の利益ではなく長期的なパフォーマンスにリンクさせることにより、企業統治を改善する。また、ファンドマネージャーの報酬を、ファンドの売り込み能力ではなく、銘柄選択能力にリンクさせる。
    • スタートアップ企業について法人税を一定期間免除する。
    • 低賃金労働者を雇用する企業に対し減税を実施する。オバマ政権が教育と高賃金の仕事を推進している現在、その風潮に反するように見えるかもしれないが、仕事はあらゆる階層で創り出されるべきなのだ。昨年初めにシンガポールがそのような減税を数十億ドル規模で実施し、不況を食い止め、現在の失業率は約3%に留まっている。

一見すると、需要不足の存在を否定し構造改革を称揚しているのでガチガチの構造改革派に思われ、また実際そうなのだろうが、半面、生産性上昇の問題点や低賃金労働者の苦境への意外な目配りを見せており、その点でむしろクルーグマン的ないし民主党的な顔を覗かせているのが興味深い。

*1:ここでフェルプスは、そのケインズからルーズベルトへの手紙を引用したデロングの2年前のブログエントリにリンクしている。