もしも電子に感情があったなら…

物理学はどんなにか難しかっただろうか、とかつてファインマンが述べたという(「Imagine how much harder physics would be if electrons had feelings!」)。

この言葉は、アンドリュー・ロー(Andrew Lo)とマーク・ミュラー(Mark Mueller)が書いた論文「WARNING: Physics Envy May Be Hazardous To Your Wealth!」の冒頭に引用されている*1。(イースタリーの10/28Aidwatcherエントリ経由*2)。


ロー=ミュラーの論文では、経済学の「物理学への羨望(Physics Envy)」がサミュエルソンの研究を嚆矢とする一連の発展をもたらした一方で、数学モデルへの過度の信頼をも生み出し、今回の金融危機の一因になった、と述べている。そのため、経済学、とりわけファイナンスでは、クォンツのような数学モデルへの依存を止めるべきだ、という議論も出ている*3。ただ、ローらはそうした議論には与せず、問題は数学モデルではなくモデルを使う側にあったのだ(“the fault lies not in our models but in ourselves”)と主張している*4


その主張を裏付けるため、ローらは、ナイトのリスクと不確実性の二分法をさらに精緻化することを試みている。具体的には、不確実性を以下の5段階に分類している。

レベル1
完全な確実性(Complete Certainty)。物理学で言えば、ニュートン力学の世界。
レベル2
不確実性の無いリスク(Risk without Uncertainty)。ナイトの言うリスクに相当する。ランダムな事象があったとしても、その分布は既知であり、統計的推定は不要である。
レベル3
完全に削減可能な不確実性(Fully Reducible Uncertainty)。ランダムな事象の分布は既知ではないが、古典的(頻度主義的)な統計的推定によって把握することができる。そのため、十分なデータがあれば、レベル2に限りなく近づくことができる。
レベル4
部分的に削減可能な不確実性(Partially Reducible Uncertainty)。この段階で物理学と社会科学の分離が始まる(物理学は基本的にここまで来ることは無い*5;その点でむしろ生物学の方が経済学と近くなる)。もはや分布は古典的な統計的推定では把握することができず、いくらデータを集めてもレベル2に近づくことはできない。むしろ、主観的な事前確率を伴うベイジアン推定の方が有効となる。いわば、いんちきをするかどうか分からず、ルールも頻繁に変わるカジノ場にいるようなものである。また、単一のモデルで捉えるのが正しいかどうか、という「モデルの不確実性(model uncertainty)」も出てくる。

レベル4の不確実性を生み出すデータ生成過程には、例えば以下のようなものがある:
  1. パラメータの確率的ないし時間的な変動が激しすぎて正確に推定できない
  2. 既存のモデルや技法やデータでは捉えることができないほど複雑な非線形
  3. 非定常性や非エルゴード性によって大数の法則中心極限定理などが使えない
  4. 未知かつ知り得ない関連情報に条件として依存している
レベル5
削減不可能な不確実性(Irreducible Uncertainty)。言い換えれば、完全なる無知の状態(a state of total ignorance)。ただローらは、こうした状態は例外的なもの(the exception rather than the rule)、としている。というのは、神学論争は別にして、定量化がまったく不可能な事象など存在しないから、とのことである。さらに、知識が進歩すればレベル5がレベル5で無くなることもある。例えば日食は3000年前はレベル5の事象と思われていたが、今では完全予測可能なレベル1の事象に過ぎない。

なお、ローらはレベル∞として「禅の不確実性(Zen Uncertainty)」も挙げている。そこでは不確実性を理解しようとする試みはすべて幻想に過ぎない、一切皆苦、とのことである。



またローらは、調和振動子を例に取ってレベル1からレベル4までの不確実性を解説している。それによると、単振動運動の式がそれぞれの不確実性に応じて次のように表される。


レベル1
  x(t) = A cos(ω0t + φ)

    • A = 2, ω0 = 1.5, φ = 0.5ならば、t = 3.5で確実にx= 1.7224となる。


レベル2
  x(t) = A cos(ω0t + φ)+ ε(t) , ε(t) IID N( 0 , σε2)

    • t = 3.5で確実にx= 1.7224となるとはもはや言えないものの、σε=0.15ということを知っていれば、xが[1.4284, 2.0164]の外側にある確率は正確に5%であると言える。


レベル3
  x(t) = A cos(ω0t + φ)+ ε(t) , E[ε(t)] = 0 , E[ε(t1)ε(t2)] = 0 ∀ t1 ≠ t2 .

    • 振動子の周期が1時間の場合、S/N比が0.1であっても、1分毎に24時間観察を続けて1440個のデータを集めれば、高速フーリエ変換を用いてその周期を極めて高い精度で推計することができる。
    • 景気循環がこのように近似できるものだったら、経済予測は平凡な作業となっていただろう。


レベル4
  x(t) = I(t) x1(t) + (1 − I(t))x2(t)
  xi(t) = Ai cos(ωit + φi) , i = 1, 2
  ここでI(t)は以下の遷移確率行列に従う2状態マルコフ過程である。

I(t) = 1 I(t) = 0
I(t − 1) = 1 1 − p p
I(t − 1) = 0 p 1 − p
    • 2つの振動子の周期がそれぞれ1時間と2時間だった場合、遷移確率pによって推計の難易度は変わってくる。
      • pが半減期で4時間に対応する値を取るならば、高速フーリエ変換で両者の周期を分離することができる。
      • 逆に、pが半減期で30秒という極めて短い時間に対応する値を取るならば、このシステムは事実上、両者の振動数の調和平均を持つ単一の調和振動子と見做して構わない。
      • 問題になるのは、pが半減期30分に相当する値を取る場合。この場合、高速フーリエ変換を掛けても周期を見い出すことは難しい。ましてや、これにノイズが乗ったならば、パラメータの推計は絶望的となる。経済成長率のデータはこの状況に相当すると言える。

さらにローらは、statarb(statistical arbitrage)という投資戦略を例に取って、レベル1からレベル4までの不確実性をファイナンスの世界に当てはめてみている。ここでstatarbとは、パフォーマンスの悪かった銘柄を買い、パフォーマンスの良かった銘柄を売るという逆張り戦略である。売り買いが同金額になるようにするので、いわゆる市場中立(マーケットニュートラル)戦略である。

レベル1
値上がりもしくは値下りが予め分かっていたら、買いもしくは売りが殺到して、価格は0か∞の極端な値しか取れなくなる。従って、ファイナンスの世界ではレベル1は無意味。
レベル2
ノイズ項込みのファクターモデルから期待収益率が計算できる。
レベル3
過去データから収益率を計算できる。ただし、statarbを実際にシミュレートしてみると、1995年に年率345%(シャープ比53.87)、2007年に33%(シャープ比2.7)というとんでもない結果が出てくる(ちなみに1995〜2007年のS&P500のシャープ比は0.83、バークシャー・ハサウェイの株価から推定されるウォーレン・バフェットのシャープ比は0.75)。
レベル4
上記のシミュレーションでは取引コストが考慮されていない。もちろん、手数料など明確に分かるコストの取り込みは可能だが、自らの取引が市場に与える影響の推計は難しい。また、この投資戦略の日次収益率は1995年から2007年までほぼ単調に減少してきているが、それが統計的偶然なのか、それとも皆がこの戦略を取るようになったために生じた現象なのかは分からない。さらに、上記のシミュレーションでは、2007年の8月のある3日間で、この投資戦略が25%もの損失をもたらした、という結果が得られている。これは2006年の収益率の標準偏差の7倍であり、64億年に一回しか起きないはずの現象である。これらのことは、モデルが世界を正確に捉えていないことを示している。経験を積んだクォンツはそうしたモデルの限界を理解しているが、未熟なクォンツはそのことを把握せず、レベル3の不確実性しか存在しない、と考える恐れがある。


また、ローらは、ここで提示した不確実性のレベルは連続的なものであり、物事をあるレベルからだけ把握するのではなく、すべてのレベルから多面的に把握することが肝要、として、以下の例を挙げている。

  • 皆既日食は紀元前4000年から紀元6000年までの10000年間で49回しか起きないという非常に稀な事象なので、その頻度だけを考えると、いわゆるブラック・スワンに思える。だが、そのすべてが予測可能なため、実際にはブラック・スワンとは言えない。
  • コイントスは確率的事象の典型例とされるが、実は初期条件をきちんとコントロールすれば出てくる面は決まってしまう。
  • 市場において価格と取引量だけをいくら観察しても、需要量を予測することはできない。そのためには消費や所得という追加のデータが必要になる。その追加のデータと、需要曲線と供給曲線の定式化により、レベル5からレベル4に移行することができる。

その上で、ファイナンスの世界でも、レベル5の事象だと言って簡単に降伏するのではなく、非定量的なモデルで対応することを考えるべきである、と主張する。そのためには、クォンツを捨て去るのではなく、むしろクォンツを増やすべきである、と彼らは言う*6。金融機関や規制当局のマネージメント層でクォンツに対する理解を深め、リスクマネージメントでモデルの限界に対応するべき、というのが彼らの提言である。

*1:cf. ここの脚注で引用したブライアン・アーサーの言葉。なお、この論文のタイトルは「Trading Is Hazardous to Your Wealth: The Common Stock Investment Performance of Individual Investors」という論文を意識しているように見える。そのまた元ネタは、おそらく「Caution: Cigarette Smoking May be Hazardous to Your Health」というタバコの注意書き

*2:イースタリーは、ローらの提示する不確実性のレベルにおける誤認識の問題は、ファイナンスよりも開発経済学でより深刻だ、と述べている。

*3:名指しはしていないが、その辺りの記述ではタレブを意識しているように思われる。

*4:この考えはロドリックアイケングリーンの考えと共通しているように思われる。

*5:[11/5追記]逆に物理学がここまで来てしまったがために起きた悲劇が筑波大事件であった、という言い方ができるかもしれない。従来の物理学者からすれば、ここでの物理学は似非科学か捏造としか見えない、ということなのかもしれない。

*6:クォンツが多すぎて問題が起きたのだという一般の認識は、ローらに言わせれば、“素人”が口出しして話がおかしくなった例の一つである(それ以外の例として論文では、SECの2004年の規則変更がレバレッジ基準緩和をもたらしたという主張、Gaussian copulaという式が危機をもたらしたのだというフェリックス・サーモンのWired記事を挙げている。彼らはこうした状況を、2008年9月19日に故障した大型ハドロン衝突型加速器の修理に、物理学を知らない人々が口出しするようなもの、という喩えを用いて描写している)。論文の最後の方では、MITのファイナンスのPhD取得者が理工系のPhD取得者に比べて圧倒的に少ないという数字を示して、このPhD数を増やすために政府が資金を拠出するか、CDSなどに追加の手数料を課してそれを資金に充てるべき、と自らの所属部署への利益誘導まがいのことまで書いている。その際、大学院で金融を修めた卒業生が理工系の技術者に比べて1982年以降給与が高くなっていったという論文を引用して、これは金融の専門家への需要が増えたため、とも書いている(その論文は、ここの脚注で触れたように、クルーグマンが[ローらとは逆に]銀行業界の給与水準や図体の大きさを攻撃するために引用したThomas PhilipponとAriell Reshefの論文である)。