金融商品への超過需要とジョン・スチュアート・ミル

エズラ・クラインがクルーグマンに、クルーグマンとデロングが使っている経済モデルと、論争相手の使っている経済モデルの違いについて書いてくれ、と頼んだらしく、10/2エントリでクルーグマンがそれに応えている。また、10/4にはフォローアップエントリ邦訳)、10/6にはカール・スミスが自分なりの分類をしたのに対する反応エントリを書いている。


それらのエントリも興味深いのだが、今日はスミスのエントリに反応してデロングが書いた文章を紹介しておく。

At the end of the day, your choice of New Keynesian instruments: monetary policy, government spending or tax cuts depends mostly on political economy concerns. That is, your view of the fundamental relationship between the government and the economy.

I would say that it's not primarily whether the government should be bigger or smaller.
It's political economy in the sense of which instrumentalities--congressional appropriations, IRS, Treasury, Federal Reserve--can actually implement successfuul programs.
And it is the exact shape of the financial excess demand--which will always be, empirically, a mixed matter--that determines which strategic governmental interventions will be most effective. Printing up more government bonds will fail when the root problem is excess demand for money and money demand is not very interest-elastic. Standard open market operations in short Treasuries will fail when the root problem is excess demand for bonds-as-savings-vehicles or for high-quality assets and money demand is very interest-elastic.


(拙訳)

(スミスのエントリからの引用)結局のところ、ニューケインジアンの政策ツールの選好、即ち、金融ツールか政府支出か減税かの選択は、主として論者の政治経済的な動機によって決定されるわけだ。つまり、政府と経済の基本的な関係に対する見方によって決まるということである。

大きな政府と小さな政府のどちらが望ましいかという問題ではない、ということは言っておこう。
政治経済的であるのは、議会で決議される予算、内国歳入庁、財務省FRBのうち、どの手段が実際に計画を成功裡に遂行できるか、という点においてである。
そして、どのような形の政府の戦略的介入が最も効果的か、を決定するのは、金融商品に対する超過需要の形態に他ならない。国債の大量発行は、問題の根本が貨幣への超過需要であり、貨幣需要が利子に対し非弾力的である場合にはうまくいかないだろう。通常の公開市場操作は、問題の根本が貯蓄対象としての債券への超過需要や質の高い金融商品への超過需要であり、貨幣需要が利子に対し非常に弾力的である場合にはうまくいかないだろう。


この文章は、節約のパラドックスを貨幣への超過需要として再定義しようとする動きへのデロングの反発の背景となる彼の考え方を示している。金融資産への超過需要は決して貨幣だけに留まるものではなく、今の場合はそれ以外への金融商品への超過需要も生じている、というわけだ。


なお、このエントリでデロングは、スミスが歴史的視野に欠けている、という不満も述べている*1。具体的には、ジョン・スチュアート・ミル1829年の考察に触れていないことを指しているのだが、そのミルの1829年の考察についてデロングは、7/30エントリ(7/29付けのProject Syndicateコラムからの転載)で次のように解説している(以下ではHicksianさんの訳を利用させて頂いた)。

In 1829, John Stuart Mill made the key intellectual leap in figuring out how to fight what he called “general gluts.” Mill saw that excess demand for some particular set of assets in financial markets was mirrored by excess supply of goods and services in product markets, which in turn generated excess supply of workers in labor markets.

The implication of this was clear. If you relieved the excess demand for financial assets, you also cured the excess supply of goods and services (the shortfall of aggregate demand) and the excess supply of labor (mass unemployment).


(Hicksianさん訳)
1829年のことになるが、ジョン・スチュアート・ミル(John Stuart Mill)は、彼が「一般的な(全般的な)供給過剰(“general gluts”)」と呼んだ問題の解決策を明らかにすることを通じて経済学上における大いなる知的前進を促すことになった。ミルは、金融市場において特定の金融資産に対する超過需要が存在する裏には、生産物市場において財・サービスの超過供給が存在する―そして、財・サービスの超過供給は労働市場において労働サービスの超過供給を生み出すことになる―ことを見てとったのである。
ミルにとって以上の認識から示唆されるインプリケーションは明らかだった。すなわち、金融資産に対する超過需要を和らげれば、同時に、財・サービスの超過供給(つまりは、総需要の不足)と労働サービスの超過供給(つまりは、大量失業)とが和らぐことになる、ということである。


この7/30エントリ/Project Syndicateコラムでデロングは続けて、金融資産への需要の形態と対応する政策手段についてさらに詳細に述べている。それをHicksianさんの訳をベースにざっくりまとめてみると、以下のようになる。

  • 貨幣への超過需要の場合
  • 貯蓄対象としての債券への超過需要の場合…政策手段は2通り存在
    1. 企業の借入増加と生産能力拡張を促す「信頼回復」("restoring confidence")策
    2. 政府の借入増加により債券の需給均衡を取り戻す「財政政策」("fiscal policy")
  • 質の高い金融商品への超過需要の場合
    • 政府が民間の金融資産に政府保証を与えたり買い取ったりすることによって、リスク資産の供給量を減少させるとともに安全資産の供給量を増加させる「資産転換政策」("banking policy")

*1:エントリのタイトルが「In Which I Lament Karl Smith's Lack of Historical (and West Coast) Perspective」となっている。ちなみに括弧付きで西海岸への視野も欠けている、としているが、それはニューケインジアン経済学の創始に関してマンキューのメニューコスト論文にのみ言及し、(カリフォルニア大学バークレー校の)アカロフ=イエレンの「合理っぽい」モデルの論文(cf. ここ)に言及していないことを指している。