コント:ポール君とグレッグ君(2010年第5弾)

久々にまともな(!)やり取り。

グレッグ君
ポール君がギリシャについて思慮深くかつ示唆に富んだコラムを書いている*1。でも、地域間の移転支出を司る中央集権的な巨大政府が存在しないから欧州は最適通貨圏ではない、という議論はどうかな?(この議論については僕の中級教科書の12章も見てみてね) たとえば19世紀の米国は、今の欧州と同様にそういった中央集権的な財政が無かったけど、共通通貨は結構うまく働いていたみたいよ。当時の景気循環は今よりひどかった、という議論もクリスティ・ローマーに完膚なきまでに論破されているし。
19世紀には労働関係の制度が今とは違っていて、賃金の調整が容易だった、というクリス・ヘインズが言うような議論もあるかもしれない。そうすると、それがギリシャや欧州の他の国が今後進むべき道かもしれない。ポール君の言うように賃金を下げるのは苦痛を伴うけど、ユーロを捨てるよりまだ楽かも。
あと考えられる違いは労働の可動性だ。米国人は平気で州をまたいで移動するけど、ギリシャ人はドイツ語が喋れないのでギリシャに留まらざるを得ない。もしその違いが決定的ならば、ユーロの実験は終わった、とポール君が言うのは正しいかもしれないね。
ポール君
グレッグ君が指摘した労働の可動性の問題は、そもそものマンデルの最適通貨圏の話に出てきていて、僕も最初の原稿に盛り込んだんだが、字数の関係でカットせざるを得なかった。
ただ、グレッグ君が19世紀の米国の話を持ち出してきたのは面白い。デビッド・ベックワースは、実は共通通貨はそれほどうまく機能していなかったのでは、という回答を示している。ウィリアム・ジェニングス・ブライアンが「この国を金の十字架に掛けるべきではない」と演説した時には、事実上、ブンデスバンクならぬ金本位制に基づく金融政策は農業州には馴染まない、ということを言っていたわけだ。さらに付け加えるならば、当時の賃金や価格は今より弾力的だったが、それは制度のせいではなく、まだ小規模の自作農の経済だったからだ。1880年代までは、米国の労働者の半数以上は農家だった。確か、ピーター・テミンが前に教えてくれたところによると、米国で初めての現代的な景気後退が起きたのは1873年だった。これは経済の産業化をもっと早くに達成していた英国よりずっと後のことだ。
ライアン・アベントは、今の米国でも共通通貨のメリットはどのくらいあるのかしらん、という疑問を投げ掛けている。これも話としては面白い――僕もニューイングランド通貨となるであろうラム酒とコカコーラと縁の深いヤンキー・ドルを見てみたい*2――が、おそらくは高い労働可動性のおかげで、州間の失業率の差というのはそれほど大きなものとならないんだ。大恐慌の直前にミシガン州の失業率は全国平均より2ポイント高いだけだったし、クリントン時代後期には全国平均より低かった*3。ということで、米国内で変動相場を実施すべき理由はあまり無い。
最後にもう一つ。こうした話は1990年ごろ、ユーロ計画の機運が高まった時に散々議論されたことなんだ。議論の概ねの結論は、ユーロという考えはあまり宜しくない、というものだったが、そうした懸念は脇に追いやられ、そして今日の事態がある。

*1:optical_frogさんの訳はこちら

*2:cf. ここ

*3:ここでミシガン州が出てくるのは、ベックワースが「Do we really think Michigan and Texas over the past decade or so benefited from the same monetary policy?」という疑問を投げ掛け、それに対しアベントは「One might ask whether labour costs in Michigan, relative to other states, are the issue. Would depreciation help, in that case?」とコメントしたため。