サミュエルソンと均衡財政の神話

カンザスブログでランドール・レイ(L. Randall Wray)がサミュルソンの以下の言葉を引用している。出所は、かつてマーク・ブローグ(Mark Blaug)が作成した1時間番組*1でのインタビューとのこと。

I think there is an element of truth in the view that the superstition that the budget must be balanced at all times [is necessary]. Once it is debunked [that] takes away one of the bulwarks that every society must have against expenditure out of control. There must be discipline in the allocation of resources or you will have anarchistic chaos and inefficiency. And one of the functions of old fashioned religion was to scare people by sometimes what might be regarded as myths into behaving in a way that the long-run civilized life requires. We have taken away a belief in the intrinsic necessity of balancing the budget if not in every year, [then] in every short period of time. If Prime Minister Gladstone came back to life he would say "uh, oh what you have done" and James Buchanan argues in those terms. I have to say that I see merit in that view.
(拙訳)
財政が常に均衡しなくてはならないという迷信[が必要だという]見方には一抹の真実が含まれているように思う。もしそれが迷信だということが暴かれたら、支出が制御不能に陥らないためにすべての社会が持たなくてはならない防波堤の一角が取り払われることになる。資源の配分には規律が必要であり、それがなければ無政府状態の混乱と非効率を招いてしまう。古臭い宗教の一つの機能は、時には神話のようなもので脅すことによって、長期的に文明的な生活を維持するのに必要な行動を人々に取らせることにある。毎年とは言わないでも短期的には財政を均衡させる必要が基本的に存在する、という信条を我々は取っ払ってしまった。もしグラッドストーン首相があの世から戻ってきたら、「ああ、なんてことをしてくれたんだ」と言うだろうし、ジェームズ・ブキャナンもそのようなことを言っている。そうした見方にも利点があることは認めざるを得ない。


レイはまた、同じ番組のブキャナンの言葉も取り上げている。

In the same film James Buchanan argues that the budget ought to be balanced except in wartime—and while he does not explicitly endorse Samuelson's argument that this is nothing but a useful myth, he does imply that there is no financial/economic/solvency reason for balancing the budget. Rather, it is to keep government in check, to ensure it does not grow and absorb too many of the nation's resources. Ironically, Buchanan's willingness to deficit-spend in wartime seems to imply that the US ought to almost always run deficits since we are almost always at war with someone. Hence, he seems to advocate nearly permanent budget deficits—no doubt unintentionally.
(拙訳)
同じフィルムの中でジェームズ・ブキャナンは、財政は戦時を除いて均衡されねばならない、と論じている。彼は、それは単なる有用な神話に過ぎない、というサミュエルソンの主張をあからさまに支持してはいないが、均衡財政に金融・経済・債務履行の面での理由が存在しないことを暗に認めている。それはむしろ、政府が国家の資源を呑み込んで成長し過ぎないための抑制手段、というわけだ。皮肉にも、戦時には赤字支出を認めるというブキャナンの見解は、米国はほとんど常に財政赤字を計上すべき、ということにつながる。というのは、我々はほとんど常に誰かと戦争しているからである。ということで彼は、間違いなく意図せずして、ほぼ恒常的な財政赤字を主唱しているように思われる。

いかにもポスト・ケインジアンないしNeo-chartalistらしく、皮肉交じりにブキャナンの言葉を紹介している。


サミュエルソンの言葉に対しても、レイは、やはりいかにもポスト・ケインジアンないしNeo-chartalistらしい反応を示している。即ち、政府に対するコントロールが必要だとしても、そのような神話に頼るべきではなく、常に真実を明らかにすべき、即ち、正直こそ最上の策、と述べている。仮に過去にそうした神話が役立った時期があったとしても、今の状況では有害無益だ、と彼は言う。
エントリの最後はこう締めくくられている。

We don't need myths. We need more democracy, more understanding, and more transparency. We do need to constrain our leaders—but not through dysfunctional superstitions.
(拙訳)
我々には神話は必要無い。我々に必要なのは、さらなる民主主義、さらなる理解、さらなる透明性である。我々の指導者への制約は確かに必要であるが、役立たずの迷信を通じてではない。


ちなみに、このエントリの冒頭では、現在、ピート・ピーターソンが大掛かりな財政赤字反対キャンペーンを打っているのに対し、レイをはじめとするカンザス一派が対抗しようとしている状況を報告している。そして、そのレイらの動きに対する反発の凄まじさから、サミュエルソンのいわゆる“神話”が如何に人々に浸透しているか痛感したとのことである。



なお、ブルース・バートレット(Bruce Bartlett)は、(出所を明示していないが)上記のサミュエルソンの引用を読んで、また違った感想を述べている。彼はNeo-Chartalistには与していないので、財政赤字は有用という見方とは無縁である。彼はむしろ、かつてサプライサイダーとして鳴らした時に、サミュエルソンのいわゆる“神話”がもっと機能することを期待していた、と言う。即ち、減税を推し進めて政府を飢えさせれば(いわゆる"starve the beast")、その神話に基づいて支出も削減されるだろう、と想定したとのことである。ところが豈図らんや、そうした財政均衡の精神は共和党からいつの間にかきれいさっぱり失われ、ブッシュ前政権は大幅な財政赤字を積み上げた。今ではバートレットは"starve the beast"戦略において自分の果たした役割を後悔している、とのことだ。

*1:それを元にした本もあるようだ