生産性上昇がGDPギャップを拡大した・その2

昨日はサンフランシスコ連銀の生産性とGDPギャップに関するレポートを紹介したが、シカゴ連銀総裁のチャールズ・エバンスも、3/9の全米企業エコノミスト協会(NABE経済政策コンファレンス(Economic Policy Conference)講演で同様のことを述べているEconomist's View経由)。


エバンスも、サンフランシスコ連銀と同様、最初にオークン則の破れについて触れているが、ただしその解釈は異なっている。彼によると、景気後退期と拡大期ではそもそもオークン則の傾きが異なっており(景気後退期の方が失業の変化が大きい)、景気後退期のサンプルだけを元にすると、今回の失業率の変化も説明可能だという。下図の通り、全体サンプルを元にした失業率予測(緑線)に比べると今回の実際の失業率(青線)は上振れしているが、景気後退期だけのサンプルを元にした予測(赤線)には概ね適合している。


しかし、だからそれほど心配する必要はないかというとそういうわけではなく、今回の不況の深刻さは失業率よりは平均失業期間に表れている、というのがエバンスの見立てである(下図)。


しかも、次の図の通り、不況の初期では失業率と平均失業期間は同時に上昇するが、回復期には、失業率が減少に転じても平均失業期間はなかなか減少に転じない、という傾向がある。失業期間が長引くと、各労働者の家計に恒常所得の低下、スキルの陳腐化という悪影響が出てしまい、消費者信頼感や需要の低下につながる、というのがエバンスの懸念である。


その上で彼は、失業への悪影響の別の側面として、生産性の上昇を取り上げている。以下ではその箇所を拙訳で紹介してみよう。

生産が成長する反面、労働の稼働率が低く留まる経済に見られる別の側面は、生産性の高成長である。実際、このところ、特に直近3四半期の生産性は、力強く伸びた。これは回復の初期段階でよく見られる現象である。このことは、企業が当初は労働力を拡大することなしに自社の製品やサービスへの需要拡大に応えるために起きる。


今日の重要な問題は、最近の生産性上昇が一時的な循環的要因なのか、それとももっと持続的な生産性の水準ないしトレンド変化率の増加なのか、についての見極めである。もし生産性上昇が主に大規模なコスト削減によって生じているならば、需要が本格的に回復した後は続かないだろう。この場合、景気拡大の足取りがしっかりしたものになれば、雇用は急速に伸びるものと考えられる。しかし、もしこの生産性の水準ないしトレンドの増加が技術等の改善により生じているならば、生産性の上昇は続くだろう。この場合、雇用の受ける影響は不透明である。生産性の水準が上昇すれば、潜在GDPと実際のGDPの両者が影響を受けるので、労働投入の低下という犠牲を伴うとは限らない*1


こうした要因の相対的重要度は、経済の遊休資源に対する我々の評価にも関わってくる。生産性水準ないしトレンドが高いということは、潜在GDPの成長経路が高いことを意味するので、実際のGDPが所与の場合、経済の遊休度合いがより大きいことになる。つまり、生産性に関する良いニュースは、それが持続的なものならば、今日において埋めるべきGDPギャップがより大きいことを示すわけだ。一方、経済が本当に持続可能水準よりかなり下の状態にあるのか疑問視する人もいる。彼らによれば、今回の景気後退における生産の落ち込みは、主に経済の生産能力の恒久的な減少によるものであり、それはおそらく、追加の投資をそれまで可能にしてきたある種の金融市場の仕組みが損なわれてしまったためだろう、とのことである。この見方によれば、ここ数四半期の生産性の力強い成長は、そうした潜在GDPの水準の低下をある程度埋め合わせたに過ぎない。


もちろん、失業率も経済の遊休度合いを推測する別の手段である。さらに、先に論じた失業期間の急増と労働力からの脱落という現象からは、失業率そのものが示唆するよりも実はそうした遊休度合いが大きいのではないか、と推測できるかもしれない。


ただし、失業期間の長期化や労働力率の低下は、経済全般の構造変化と表れと見做すことも可能である。そうした構造変化の例としては、失業者のスキルと雇用者の要求とのミスマッチが挙げられる。また、職が空いている産業や地域に労働者が移動するのを妨げている要因が現在は存在しているのかもしれない。そう考えると、労働市場の遊休度合いは、失業率だけから推測するよりも実は低いのかもしれない。


この2分間は、古典的な経済学者風の「一方では、…もう一方では」的な話をした。しかし、最終的な分析としては、今日の失業の規模の大きさを考えると、経済に顕著な遊休があることを私個人はほとんど疑っていない。生産性と労働市場の動向に関する他の見方を取り入れた後でも、この全般的結論には変化はない。問題は、経済の遊休度合いが大きいのか、それともとても大きいのか、ということだ。


この後でエバンスは、そうした状況での金融政策の在り方に話を移す。彼のそこでの結論は、金融政策はやるべきことはやった、というものである。その理由は以下の通り。

  • 非伝統的金融政策を量的にもっと拡大すべきだった、という意見もある。だが、そうした政策の定量的評価は数多くの研究で試みられているものの、未だ確立していない、というのが現状である。従って、そうした政策の量を倍にしていれば効果も倍だった、とは確言できない。
  • 長期金利の低下は、民間の投資や消費の決断に際して既に二次的なものになっていた。それよりは住宅のオーバーハング問題、企業や消費者の先行き警戒感、融資基準の厳格化といったものが重要視されるようになっていた。
  • 非伝統的政策の効果の一つは、民間に信頼感を取り戻すことにある。その点についての定量的な測定は難しいが、政策当局者の断固たる行動により十分達成できたのではないか。非伝統的金融政策を量的にもっと拡大していたとしても、その点に関して追加的な効果があったとは考えにくい。
  • FRBMBSの新規発行分をほとんど買い取っていた。それ以外の資産(MBSの既発行分や国債)に買取対象を広げていても、同等の経済効果は発揮できなかっただろう。
  • 金融緩和政策の拡大にはインフレ懸念というコストがあることには注意すべき。ただし、経済環境によって費用便益計算の結果は変わってくることはFOMCも十分認識しており、今後も経済の見通しや金融市場の状況を睨みつつ、証券買取政策の評価は継続的に続ける。

*1:これはまさに昨日のエントリの冒頭で触れた池田信夫氏の論点である。