マンキューモデルと流動性の罠

池田信夫氏がこのところ頻りにマンキューの教科書を引き合いに出してリフレ派を批判している(ここここここここ)。池田氏は特に、同教科書の14章に記述された動学的モデルに良く言及しているが、同氏のエントリやマンキューブログの昨年4/6エントリで紹介されているように、その14章(のゲラ)はネットで読むことができる


それによると、当該モデルは、以下の5つの式から成っている。

財・サービスの需要
Yt = Y*t − α(rt − ρ) + εt
フィッシャー式
rt = it − Etπt+1
フィリップス曲線
πt = Et-1πt + φ(Yt − Y*t) + ut
適応的期待
Et-1πt = πt-1
金融政策のルール
it = πt + ρ + θπt – π*t) + θY(Yt − Y*t)


各変数の意味は次の通り。

  • 内生変数
    • Yt 産出
    • πt インフレ率
    • rt 実質金利
    • it 名目金利
    • Etπt+1 期待インフレ率
  • 外生変数
    • Y*t 自然産出水準
    • π*t 中央銀行の目標インフレ率
    • εt 財・サービスの需要へのショック
    • ut フィリップス曲線へのショック(供給ショック)
  • 先決変数
    • πt-1 前期のインフレ率
  • パラメータ
    • α 財・サービスの需要の実質金利に対する反応度
    • ρ 自然利子率
    • φ フィリップス曲線におけるインフレの産出に対する反応度
    • θπ 金融政策のルールにおける名目金利のインフレに対する反応度
    • θY 金融政策のルールにおける名目金利の産出に対する反応度


マンキューは、フィリップス曲線と適応的期待から動学的総供給(DAS)曲線を、フィリップス曲線以外の4式から動学的総需要(DAD)曲線を導いている*1。ただ、その際、名目金利がゼロ下限に到達することは想定しておらず、金融政策は常にルール通りに実施されるものとしている。従って、この章でマンキューが展開している議論に基づいて、流動性の罠の下でのリフレ派の政策提案を批判するのは、実はあまり意味をなさないように思われる。


では、このモデルに流動性の罠を持ち込むとどのようになるだろうか? 以下ではそれを確認してみよう。


今、上記の金融政策のルールから導かれる名目金利がマイナスになったものとする。即ち

 πt + ρ + θπt – π*t) + θY(Yt − Y*t) < 0    ・・・(1)

とする。
この時、名目金利は0にする以外にない。すると、フィッシャー式は
 rt = − Etπt+1
となる。これに適応的期待を当てはめると、
 rt = − πt
となるが、これを財・サービスの需要の式に代入すると、
 Yt = Y*t + α(πt + ρ) + εt                ・・・(2)
となる。次いでこれを(1)式に代入すると、
 πt + ρ + θπt – π*t) + θY(α(πt + ρ) + εt) < 0
となるが、この不等式をπtについて解くと、
 πt < { θππ*t - (1+θYα)ρ - θYεt } / { 1+θπYα }
となる。
この不等式においては、

  1. インフレ目標率π*tが高いほど
  2. 自然利子率ρが低い(もしくはマイナス方向に大きい)ほど
  3. 需要ショックεtが小さい(もしくはマイナス方向に大きい)ほど

右辺は大きくなり、ちょっとしたインフレ率の低下で簡単に流動性の罠に陥る傾向が強まる。
ただ、この3つの条件のうち、2.と3.は直観的にも納得しやすいが、1.のインフレ目標が高いほど流動性の罠から抜けにくくなるというのは直観に反する。これについては、流動性の罠に陥った状況ではもはやインフレ目標は意味を持たない、と考えるのが適当であろう。そうすると、この場合はθπをゼロと置くのが適当と思われる。すると、上の不等式は
 πt < -ρ - (θYεt)/(1+θYα)
あるいは
 πt + ρ + (θYεt)/(1+θYα) < 0
となる。


つまり、マンキューモデルにおいて流動性の罠に陥った場合は、インフレ率πt、自然利子率ρ、需要ショック(θYεt)/(1+θYα)のいずれか、もしくはそのうちの2つ、もしくはすべてを底上げして、合計を正の領域に持っていくことが脱出法、ということになる。単純な図式的な言い方をすれば、この3項のうち、インフレ率に焦点を当てるのがリフレ派、自然利子率に焦点を当てるのが構造改革派、需要ショックに焦点を当てるのが財政派、ということになるだろう。


なお、(2)式で注意すべきは、インフレ率−産出平面において、総需要曲線が右上がりになっている点である。マンキューの14章のFigure14-13では、右上がりの総需要曲線と右上がりの総供給曲線が交わったところに正の需要ショックが加わった結果、インフレスパイラルがもたらされる様子が描かれている。今の場合は逆に、右上がりの総需要曲線によりデフレスパイラルがもたらされることになるわけだ。
そのことを具体的に式で表すと次のようになる。
フィリップス曲線に適応的期待を当てはめた総供給曲線は
 πt = πt-1 + φ(Yt − Y*t) + ut
であるが、これに(2)式を代入すると
 πt = πt-1 + φ(α(πt + ρ) + εt) + ut
から
 πt = { πt-1 + φαρ + φεt + ut } / { 1-φα }
となる。ここでφとαの具体的な値が問題になるが、マンキューはα=1、φ=0.25という例を示している。その値を用いると、πt-1の係数は4/3となり、デフレスパイラルが発生することになる。
ちなみにこの時の産出は
 Yt = Y*t + { α(πt-1 + ρ) + εt + αut }/{ 1-φα }

となるので、デフレスパイラルが発生すればやはり時を追って減少していくことになる。

*1:cf. 以前紹介したRoweモデルも同様。