バラッサ=サミュエルソン効果・再訪

再訪、と言っても、拙ブログでまともに取り上げるのは初めてだが、昨日エントリの冒頭で触れた池田信夫氏が渡辺努氏の小論を引用しており、そこでバラッサ=サミュエルソン効果(正確には「高須賀効果」)が論じられているので、以下で復習してみる。


Wikipediaには、残念ながら該当項目の日本語のページは無い。そこで、英語の概略説明を訳してみる。

バラッサ=サミュエルソン効果を生み出す最も単純なモデルは、2国2財(貿易財と国ごとの非貿易財)1生産要素(労働)からなる。簡単のため、労働力の限界生産物(MPL)として計測される生産性は、非貿易財について両国で等しく、1に基準化されているものとする。

  MPLnt,1 = MPLnt,2 = 1

ここで"nt"は非貿易財部門(nontradable sector)を表し、添え字の1と2は国を表すものとする。

各国においては、労働市場の競争の仮定により、賃金は限界生産物の価値と等しくなる。つまり、各財の価格とMPLを掛け合わせたものに等しくなる(これは必要条件でなく十分条件であることに注意。必要条件は、賃金がとにかく生産性と関係していることである)。

  w1 = pnt,1 * MPLnt,1 = pnt,1 = pt * MPLt,1

  w2 = pnt,2 * MPLnt,2 = pnt,2 = pt * MPLt,2

ここで"t"は貿易財部門(tradable sector)を表すものとする。貿易財に国の添え字が付いていないことは、貿易財の価格が2国間で均等化することを意味しているのに注意。

ここで、国2の方が生産性が高く、従って、豊かであると仮定する。すなわち、

  MPLt,1 < MPLt,2

となるが、これから

  pnt,1 < pnt,2

が導かれる。

よって、貿易財の(世界)価格が等しければ、非貿易財の価格は生産性の低い国で低くなり、その結果、その国の全体的な物価水準も低くなる。


ここで注意すべき点は、労働市場の競争により均等化するのは、MPLそのものではなく、p*MPLであることだ。かつて山形浩生氏が指摘したように、床屋などのサービス業の生産性は、国によって大差ない(そのため上記ではそれを国によらず等しいと仮定し、1に基準化した)。また、それらの生産性が技術進歩によって上昇する余地も電気製品などに比べれば限られるので、サービス業がいずれ製造業と等しい生産性を達成すると考えるのは非現実的だろう。従って、市場による調整は、MPLを動かすことによってではなく、あくまでも価格pによって行なわれると考えるべきなのである。


ちなみに、前述の渡辺氏は、日本におけるバラッサ=サミュエルソン効果について、デフレ問題と絡んで興味深い指摘を行なっている。即ち、円がドルにペッグしていた時代は、上述の調整は専らpnt(非貿易財価格)の上昇によって行なわれていたのに対し、為替のフロート制移行後は、pt(貿易財価格)の下落が調整のかなりの部分を担うようになったという。それは、国際競争の激化もさることながら、円高によって貿易財の価格が抑えられたことも寄与しているとのことである。渡辺氏は、そもそも貿易財の方が非貿易財よりも価格伸縮性に富んでいて、フロート制移行によりその伸縮性が存分に発揮されるようになったのではないか、と推測している。とすると、日本の貿易財の価格競争力のあまりの強さが円高を招き、延いてはデフレを招いたという見方もできそうである。
ただ、渡辺氏は同時に、そうした見方は貨幣論的側面を軽視し過ぎていることにも注意喚起している。実際、渡辺氏がこの小論でフロート期として分析したのは1975-1995年であるが、デフレが深刻化したのは、その後のむしろ円高が和らいだ時期である*1


なお、労働者が生産性の低い分野から高い分野に移るのを労働市場の硬直性が阻害している、それがデフレを市場全体に伝播させている、という議論もあるが、その議論には以下のような難点があるように思われる。

  • 生産性の高い分野は、定義により、労働者が少なくてもやっていけるようになる分野なので、そもそも労働者の増加は見込みにくい。もし無理に労働者を増やせば、生産性が落ちる(それによって低生産性部門に生産性が近づき、生産性の均等化につながる、という言い方もできようが、それは論者の望む方向ではないだろう)。
  • バラッサ=サミュエルソン効果では、労働市場の硬直性ではなく、むしろ賃金・価格変動の容易性が移動の阻害要因として機能する(=低生産性部門の賃金が労働者の引き留めのために相対的に高くなり、それに伴って財の価格も高くなる)。その伝で行くと、むしろ労働市場を硬直化させて分断した方が、デフレの伝播を抑制することになる。

*1:バラッサ=サミュエルソン効果とデフレとの因果関係を論じた論文は、他に2004年の財務省財務総合政策研究所の人たちによる論文がある。だが、この論文も為替による調整についての議論は曖昧であり、その点をこちらのブログから突っ込まれている。