失業は経済のセクター間調整によるものか?

池田信夫氏が取り上げているが、タイラー・コーエンが経済のセクター間調整について書いている。基本的には以前ここで取り上げた議論の蒸し返しであるが、今回はEconbrowserのメンジー・チンが懐疑論者として登場している
チンは、セクター間調整が失業をもたらしていること自体は否定していないが、それが主要因であるという主張には懐疑的である。彼が議論の対象としたのは、The American SpectatorのJoseph Lawlerのコラムであるが、そこでのLawlerのセクター間調整による構造的失業を重視する主張について、以下のような疑問を投げ掛けている。

  • たとえば建設業にくらべた製造業の労働者の落ち込みは、今回よりも1981-1982年の景気後退の方が大きい。
  • 確かに教科書的には、(セクター間調整の遅れが生み出す)摩擦的ないし構造的失業と、(景気循環が生み出す)循環的失業とは区別されている。しかし、1980年代の履歴効果の研究以降、総需要へのショックが永続的な失業を生む出すという理解が得られている。従って、Lawlerのようにオーストリア学派的に両者の差を強調するのは、やや行き過ぎの感が否めない。
  • Lawlerの主張するように、技術の発達によって企業が労働者の必要規模を以前より適切に判断できるようになり、解雇する際は一時的ではなく恒久的なものとなるケースが増えたと言うのなら、例えばミクロの企業レベルのデータでのボラティリティの上昇が見られるはずである。しかし、DavisとKahnの大平穏期の研究では、そのような傾向は見られない。
  • Lawlerは、失業率がオークン則で予測されるものよりも大きいことをセクター間調整を重視する根拠としている。確かに1988-2009年の期間で推計したオークン則を使用すると、2009年第3四半期の現実の失業率と推計失業率の差が1%程度あり、その差は統計的に有意である。しかし、1967-2009年の期間で推計したオークン則では、その差はなくなる。

Lawlerは、金融財政政策により経済を下支えすることは、構造調整を遅らせるので有害無益と主張している。それに対しチンは、以上の結果から、総需要不足を補うという点でそれらの政策は有効である、という見方を支持している。


一方、アーノルド・クリングはチンに以下のように反論している

  • 失業者は「私は構造的失業者です」「私は循環的失業者です」という看板を首にぶら下げて歩いているわけではないので、実証分析は困難。
  • また、経済刺激策の有効性を謳う研究で使用されるモデルは、そもそも失業が循環的であることを仮定している。そうしたモデルで失業が循環的なものであることを証明することはできない。
  • クルーグマンのようにさらなる刺激策を求める声があるが、そのように増大していく刺激策が必要ということは、現在の失業が循環的なものではないことを示しているのではないか。


クリングはさらに、総需要不足説とクリングの再計算説の差は、前者ではどこに再び雇用が現れるか分かっているが、後者では分からない点にある、と述べている。たとえば戦後20年間の景気後退では、建設や工場の労働者が失業したが、住宅や耐久消費財の過剰在庫が掃ければ、またそれらの職場に雇用が戻ってくることが分かっていた。だが今回の不況はそうはいかない、というわけである。


なお、サムナーもコーエンのエントリに反応している。彼はまず、不況の際は、生活必需品よりも設備投資や耐久消費財への支出がまず切り詰められるので、経済へのショックが単なる名目値ベースの下落であったとしても、大規模なセクター間調整は起きる、という点について注意喚起している
その上で、今回の危機が2008年半ばに始まる前に経済が受けたショックを、以下の3段階に分類している。

  1. 2006年半ば以降の住宅関連セクターの調整。
  2. 2007年から2008年に掛けてのエネルギーショック。
  3. 2008年前半のマイルドな総需要ショック。名目成長率は、通常の5%から3%以下に落ち込んだ。

しかし、この3つが合わさっても、失業率が大きく上昇することは無かった、とサムナーは指摘する。経済が本当に落ち込み始めたのは、それからさらに数ヶ月経過した後のことである。従って、上記の3つの実体経済へのショック自体が今回の危機を招いたわけではなく、不適切な金融政策の対応が招いたのだ、とサムナーは言う。彼の指弾する不適切な金融政策の対応とは、以下の2点である。

  1. ヴィクセル的な均衡利子率が低下したにも関わらず、金利目標政策に基づき金利水準を維持した。それにより期待名目成長率が下落した。
  2. エネルギー価格高騰によるインフレ率上昇に目を奪われて、金融緩和策を打つべき時に打たなかった。

そして、金融政策が名目GDPを目標にしていればこうした問題は避けられた、と持説を展開している。