マクロ経済学と気象学の比較

WCIブログでNick Roweマクロ経済学と気象学の類似性と相違について論じている

類似性
  1. 両方とも一般均衡分析を行ない、系全体の中の部分同士のポジティブないしネガティブフィードバックがたくさんある相互作用を理解しようとする。
     
  2. 両方とも異なる変数の相関を示す時系列データを持っている。我々はモデルを構築してその相関を説明しようとする。他所で得られた証拠でそうしたモデルのパラメータを決めることもある。
     
  3. 両方ともそうしたデータの入手には自然の実験に頼る。
     
  4. 両方とも政治問題化する。「誤った」政策は大きな損害をもたらし得る。また、人々のマクロ経済学と気象学に関する信条は(不完全ながら)その政治的信条と相関する傾向がある。
相違
  1. マクロ経済学は人々を説明しようとする。気象学はそうではない。人々は説明の対象としてはより厄介である。特に、人々の行動は、彼らの将来の予想に依存するので、因果関係のモデル化においてラグだけでなくリードも考えなくてはならない。これは我々の仕事をより困難にする。
     
  2. 私の考えでは、我々のデータの方が扱いやすい。もし我々が貨幣のインフレに与える影響を見ようと思ったら、異なる国のデータを見ることもできるし、歴史上の異なる時点の出来事を見ることもできる。もし彼らがCO2の気温に与える影響を見ようと思ったら、彼らの手元には世界全体のデータしかない。また、我々は歴史的記録の中に数多くの自然の実験を有している。これは我々の仕事をより容易にする。
     
  3. 我々のデータのあるものは、S/N比を敢えて小さくしようとする政策当局によって生成される。インフレ目標を達成しようとして金融政策を行なう中央銀行が一例。そうしたデータは、自然の実験としては無意味だ。その半面、もし中央銀行がインフレを目標の近辺に維持することに成功すれば、その中央銀行が使っているマクロ経済理論がどんなものであれ、おそらく概ね正しいということになる。
     
  4. マクロ経済学は気象学より古い。貨幣が価格に影響するという理論は、CO2が気温に影響するという理論より古い。貨幣数量説の人気は、盛んになっては衰え、盛んになっては衰え、といったことを長年繰り返してきた。
     
  5. マクロ経済学の「主流」や「コンセンサス」について語ることはまったく無意味とは言わないが、競合するアプローチの間に顕著な意見の相違があるのも事実である。たとえば、あまり厳密な定義をしなければ、貨幣数量説のある種のバージョンはマクロ経済学者の大部分に受け入れられるだろう。しかし、重要な少数派はそれを拒否するだろう。マクロ経済学の自明でないことで、ほぼすべての場合にほぼ確実だとされることを思いつくのは難しい。


Roweがこのような比較をしようと思い立ったのは、このスキャンダルがきっかけとのこと。マクロ経済学者は清廉潔白という点で科学者の鑑というわけではないが、学界の内と外との間の衝突と同じくらいの衝突が内部に存在するのが気象学との大きな違いではないか、と感じたとの由。