何が銀行を中央銀行たらしめるのか?

という問いに対し、Nick Roweが、それは通貨の発行権などではなく、負債の換金義務を負わないことである、と論じている

確かに一般には通貨の発行権の独占が中央銀行の特徴とされているが、交換の媒体という意味では、小切手やデビットカードがあり、紙幣無しで生活を済まそうと思えば可能である。そして、仮に紙幣が(完全電子化等で)なくなってしまった場合に、中央銀行も無くなるかというと、そんなことはない、と彼は指摘する。


Roweは以下のような仮想例を提示して議論を展開している。

  • 銀行Aと銀行Bが共に紙幣を発行する。Bは自行の紙幣をAの紙幣に額面で交換する約束をするが、Aはそのような約束はしない。
  • 当初5%であった金利について、Aがそれを4%に引き下げる一方、Bが5%を維持するものとする。
    • すると、Aから4%で借り入れ、BでBの紙幣に額面で換金し、Bに預け入れる預金者は、無限の裁定機会を得ることになる。
    • その無限の裁定によりBは無限の損失を負うことになってしまう。それを避けるには、額面での換金を停止するか、金利を4%に引き下げるしかない。
  • また、Aが5%の金利を6%に引き上げる一方、Bが5%を維持した場合を考える。
    • 今度は、Bから5%で借り入れ、BでAの紙幣に額面で換金し、Aに預け入れる預金者は、無限の裁定機会を得ることになる。
    • その無限の裁定によりBは無限の換金を要求される。それに応じるため、BはAから紙幣を6%で借り入れることを余儀なくされ、5%の貸出金利との差により無限の損失を負うことになってしまう。それを避けるには、額面での換金を停止するか、金利を6%に引き上げるしかない。
  • つまり、Aに金利を定める能力を与え、Bにそれへの追随を余儀なくさせるのは、換金義務の非対称性である。これによりAは中央銀行の地位を得て、利益を追求する(ないし損失を回避する)Bは、その下での商業銀行となる。
  • そう考えた場合、通貨を他国にペッグさせる国の中央銀行は、実は本当の中央銀行ではない。
  • また、金本位制における中央銀行も、やはり本当の中央銀行ではない。彼らは長期的なインフレ率を設定することができない。その体制下ではむしろ、金鉱山業者が中央銀行になる能力を持つ。ただし、彼らは中央銀行として行動する意志を持たず、利益を追求するので、実際に中央銀行になることはない。
  • 金本位制下で、2つの金鉱山業者が金の採掘をコントロールしているものとしよう。また、すべての銀行が自行の紙幣を定率で金に換える約束をする一方、金鉱山業者はそういった約束を何もしないものとしよう。だが、どちらの業者の金も金であることに変わりは無いので、片方の金鉱山業者の金は、もう片方の金鉱山業者の金に額面で交換できる。この場合、対称的な換金性が見られる。これは、ユーロ導入直前の為替相場を固定したフランスとドイツの状態に他ならない。
  • この場合、片方の金鉱山業者(フランス)がもう片方の金鉱山業者(ドイツ)よりも金利を低くしたら、やはり無限の裁定機会が生じる。しかし、今度は独仏双方が換金義務を負うので、両方とも損失を蒙る。その我慢比べに勝った方が中央銀行である。