医療改革のABCジレンマ

と題したWSJコラムで、ノーベル賞経済学者のバーノン・スミスが、医療問題の本質を以下のように要約している。

The health-care provider, A, is in the position of recommending to the patient, B, what B should buy from A. A third party—the insurance company or the government—is paying A for it.

Vernon L. Smith: The ABC Dilemma of Health Reform - WSJ

(拙訳)
医療サービス提供者Aは、患者Bに、Aから何を買うべきか薦める立場にある。そして、第三者(保険会社もしくは政府)がAの代わりにその料金を支払う。

これは、インセンティブ面からの解決を考えるには悪夢的状況であることは経済学者でなくても分かること、とスミスは指摘する。解決策があるとすれば、第三者がいったん患者Bに支払い、Bが自腹からの支出も添えてAに支払う構造に変えるしかない、というのがスミスの指摘である。


偶然にも、FTのティム・ハーフォードがほぼ同時に同様のことを書いている。彼は米国と英国の両方の医療を家族が受けた体験をもとに、巷で強調されている両者の違いよりは、実は両者の共通性こそが問題なのではないか、と指摘している。

Yet in one vital way, the systems are exactly the same: at no point during my interactions with either system did I ever have to wonder about whether a procedure was worth the price. Large sums were spent on me and my family, but I never had to ask myself whether my doctors and I were treading the path of cost-effectiveness, straying off into wasteful indulgence, or indulging in dangerous penny-pinching. Someone else always picked up the bill.

Subscribe to read | Financial Times

(拙訳)
しかし、ある重要な一点で、両方のシステムはまったく同じである。どちらのシステムでも、治療の際に、その処置が値段に見合ったものかどうか私が頭を悩ませる必要が無かった。私や私の家族のために多額の金が使われたが、私と医者がコスト面で効率的な選択をしているのか、無駄な浪費にさ迷い込んでいるのか、それとも危険なコストカットをもて遊んでいるのか、ということを自らに問い掛けることはなかった。誰か別の人間が支払いをするからだ。

この共通性とは、まさに上でスミスが指摘したことにほかならない。
この点に関するハーフォードの解決策もスミスと同じで、医療に対する支払いも、自動車や食料や住宅に対するのと同様、自腹にすべき、というものである。そうすれば、人々は費用対効果を気にするようになり、医療費の高騰が抑えられるだろう、というわけである。
この提案についてハーフォードは、以下の3つの反論を想定している。

  • ある種の医療は極めて高価で、政府か保険会社に費用を負担して貰わざるを得ない。
  • 貧しい人々は医療費を負担できない。
  • 患者に賢明な選択ができるかどうか分からない。

このうち最初の2つについては、再配分や強制貯蓄や「本当の」保険(=予期しない非常に高費用の出来事に関する保険)といった制度設計で対応できるはず、実際シンガポールはうまくやっている、とハーフォードは述べている*1
3つ目の異論については、実際に制度が実施されれば、メディアに情報が溢れるようになるだろう――ちょうど今レストラン等のお買い得情報が消費者の身の回りに溢れているように――というのがハーフォードの見方である。

*1:cf. このエントリフリードマン案ならびにluke_randomwalkerさんのコメント。