クリンゴノミクス対クルーグマン

一昨日昨日のエントリでEconlogのアーノルド・クリングの再計算理論を紹介したが、基本的にこれは、経済のセクター間の雇用や資本の調整の話として米国内では受け止められている。そう考えると、日本でも良く目にする種類の議論である、と言えよう。たとえば、池尾和人氏は、期せずしてクリングが再計算の主張を始めたのとほぼ同時期にセクター間調整の議論を展開し、そうした点を考慮していないとして竹森俊平氏ならびにリフレ派を攻撃している。


ちなみに、クリングのリフレ派批判については昨日エントリで紹介したが、その主張については以下のような反論が寄せられている。

  • Nick Rowe
    • 鯖は貨幣と違って交換媒体にならない。従って両者を同列に扱うのは誤り。
  • デビッド・ベックワース
    • VARで分析すると、短期では金融政策は期待、名目経済指標、実質経済指標のいずれにも影響しない、というクリングの主張は否定された。

(これらの反論に対するクリングの反応はこちら


また、セクター間調整という議論の問題点については、クルーグマン10/5ブログエントリで指摘した。彼が指摘したのは、そうしたセクター間調整が失業を生み出すならば、住宅ブームが起きた際にも、住宅関連セクターへのリソースの移動が発生したことにより、他のセクターで人材が余り、失業が発生したはずではないか、ということであった。つまり、今回の住宅ブームの崩壊により発生したセクター間調整と対称的なセクター間調整が過去にあったはずではないか、ということである。


このクルーグマンによる非対称性問題の提起については、以下のような反応があった。

  • クリング自身は、住宅ブームは長期に亘って段階的に進むのに対し、その崩壊は短期間である、という非対称性を指摘した*1
  • ロバート・ワルドマンは、資本財の生産のような賃金の高いセクターに労働者は流れるが、その逆の流れは起きにくい、という非対称性を指摘した。彼は、その点を掘り下げるため、モデルまで作成している
  • ジェームズ・ハミルトンは、セクターBでブームが起きたためにセクターAの労働者がそちらに転職しようとして一時的に失業するのと、セクターAへの需要が落ち込んだために発生する失業とは訳が違う、と指摘している。ハミルトン自身、後者の種類の失業に関する論文を以前書いたことがあるとの由。
  • タイラー・コーエンは、各種文献を挙げて、この問題に関する研究が既に様々になされていることを指摘している。


なお、クルーグマンは、同時に、クリンゴノミクスは財政政策を否定するもの、と捉え、シュンペータの文章を引きながら以下のように批判した。

It’s all there: mass unemployment is necessary, because you have to shift resources away from sectors that got too big, stimulus is a bad thing because it slows the necessary adjustment.
(拙訳)
話はすべてそこ(シュンペータの文章)にある:大量失業は必要だ、というのは大きくなりすぎたセクターからリソースを他に振り向ける必要があるからだ。財政刺激策は悪い政策だ、というのは必要な調整を遅らせるからだ。

この点については、マシュー・イグレシアスライアン・アベントも同様の批判をしている(Marginal Revolution経由)。
一昨日のエントリでは再計算をEXCELの自動再計算に喩えたが、その比喩を延長するならば、たとえ[Esc]キーでその処理を一時的に中断してCPUやメモリのリソースを解放しても、いずれはまた(F9キーで)再計算を再開しなくてはならない、それを遅らせるのは却って良くない、というような感じでクリングの主張が彼らには受け止められているようである。


それに対し、クリングは、このエントリや上述のクルーグマンへの反論エントリで、自分は必ずしも財政刺激策に反対しているわけではなく、そのやり方を問題にしているのだ、と述べている。そこで彼が槍玉に上げるのが地方政府へのばらまきであり、推奨するのが給与減税である。ちなみに、上記のハミルトンも、クリングと同様、今回の不況の構造についてセクター間調整の解釈を採った場合でも政府支出が役に立ち得ると主張しているが、クリングとはまったく逆に、地方政府へのばらまきを推奨しているのが興味深い。

*1:この点は、今朝の台風による交通機関の混乱に喩えて考えると分かりやすいかもしれない。交通網の一部が台風によって一気に麻痺すると、動いている交通機関に人が押し寄せて長い待ち行列ができる。しかし、交通網の発達の過程において、新しい路線が開通するたびにそうした混乱が起きたわけではない。