ユンカーの誤謬

Nick Roweが、WCIブログで、ユンカーの誤謬というものを紹介すると同時に、その誤謬も実は正しい場合があるのかもしれない、という興味深いエントリを書いていた。


ユンカーというのはプロイセン時代の地主貴族のことである(cf. Wikipedia)。ユンカーの誤謬というのは、彼らが土地に投資を振り向けたために産業への投資が滞ったのだ、という説で、フリッツ・マハループによって論破されたという。この誤謬は、以前にタイラー・コーエンブライアン・キャプランもブログで取り上げた。


ユンカーの誤謬が誤謬たる所以を、Rowe合成の誤謬という観点から解説する。

個人のレベルでは、投資が土地購入の割を食うということはあり得る。個人は自分の貯蓄を

  • 新規の実物投資財(教育、新築住宅)
  • 企業への貸出(=企業の実物投資財[機械など]の購入)
  • 土地、中古住宅、既存の有価証券購入

に振り向けることができるが、前二者は投資であるのに対し、最後の選択肢はそうではない。
しかし、自分が土地を買う場合、一方で土地を売った人がいる。国民全員が土地を買うことはできない(干拓で土地が生産される場合を別にすれば)。中古住宅や有価証券の購入についても同様である。従って、マクロ的に考えると、ユンカーの誤謬はやはり誤謬に他ならない。このことは、貯蓄と投資の恒等式からも明らかである。


しかし、とRoweは続ける。推論の過程が誤っているからといって、結論も誤っているとは限らない。また、貯蓄・投資恒等式は、それに至るメカニズムについて何も教えてくれない。
実際、ある仮定を置くと、ユンカーの誤謬は誤謬でなくなるのだ、とRoweは主張する。


ここでRoweが仮定するのは、人々が、オイラー式で表されるように現在と過去の消費を最大化するのではなく、自分の富Wを目標値W*に近づけるという消費関数(貯蓄関数)の導入である。WがW*に満たなければ、人々は貯蓄する。WがW*を超えれば、人々は貯蓄を取り崩す。なお、W*はインフレ調整済みの実質値とする。
初期状態では、W=W*であったとしよう。これは均衡状態であり、人々は貯蓄しない。今、人々が、土地の所有割合を増やそうとしたとする。だが、上述の通り、全員が土地を買い増すことはできない。その結果、土地の価格が上昇することになる。
富は資本と土地から成るので、土地の所有割合を増やそうとすることは、資本の所有割合の引き下げにつながる。短期的には、人々が土地を買おうとして資本を売り払うので、資本の価格が低下する。長期的には、資本ストック自体が低下する。というのは、資本財が老朽化しても、資本の価格が取り換え費用を下回るため、更新されなくなるからである。
この時、人々の土地所有欲求の増大は、確かに資本の実物投資を置き換えたことになる。


またこの時、マクロベースでは所得も貯蓄も低下する。しかし、個人ベースでは、地価上昇によるキャピタルゲインがあるので、所得も貯蓄も低下しない。これは、マクロベースの所得と貯蓄がキャピタルゲインを除外することから生じる齟齬であり、経済学者の使う所得と貯蓄の指標の限界を示している。



Roweのこの議論は、理論的には面白い。富を目標に置くという行動様式は、マイホーム購入のために懸命に貯蓄し(もしくはその購入後のローン返済のために懸命に節約し)、その後に漸く余裕ある生活を送る、という一昔前の日本のサラリーマンの生活様式を想起させる。ただ、現実に起きたことを説明できるかというと、やや微妙な気がする。端的な反証としては、この議論によると地価と株価が逆方向に動くことが観察されるはずだが、周知の通り、両者は実際には概ねパラレルに動くことが挙げられる。これは、現実の経済における土地が、個人の富の一部としての側面よりも、生産財の一部として資本財と同様の意味を持つ側面が大きいためと思われる。