チアリーダー、もとい、リーマンを救えば世界が救われていたか?

リーマンを救済していれば経済はこんなことにはなっていなかった、という見解に対し、ロゴフが反論しているEconomist's View経由)*1 *2

The overwhelming consensus in the policy community is that if only the government had bailed out Lehman, the whole thing would have been a hiccup and not a heart attack.


(拙訳) (世界の)政策関係者の間の圧倒的多数意見は、政府がリーマンを救済していれば、すべてのことはしゃっくりに留まり、心臓発作には至らなかった、というものだ。


これについてのロゴフの見方は、リーマン破綻は生け贄として必要だった、というものだ。

It was not just Lehman Brothers. The entire financial system was totally unprepared to deal with the inevitable collapse of the housing and credit bubbles. The system had reached a point where it had to be bailed out and restructured. And there is no realistic political or legal scenario where such a bailout could have been executed without some blood on the streets. Hence, the fall of a large bank or investment bank was inevitable as a catalyst to action.


(拙訳) それはリーマンだけの問題では無かった。金融システム全体が、もはや避けられなくなっていた住宅および信用バブルの崩壊に対処する準備がまったくできていなかった。金融システムは、救済とリストラが不可避なところまで来ていたのである。そして、街路(ストリート)で血が流されることなしにそうした救済が実行される現実的な政治的、法的シナリオは存在しなかった。つまり、大手の銀行もしくは投資銀行の破綻は、行動の触媒として不可欠だったのだ。


ただ、政府がもっと早く行動していれば、あのような形での破綻は避けられたかもしれない、とも述べている。

The problem with letting Lehman go under was not the concept but the execution. The government should have moved in aggressively to cushion the workout of Lehman’s complex derivative book, even if this meant creative legal interpretations or pushing through new laws governing the financial system. Admittedly, it is hard to do these things overnight, but there was plenty of warning. The six months prior to Lehman saw a slow freezing up of global credit and incipient recessions in the US and Europe. Yet little was done to prepare.


(拙訳) リーマンを破綻させたことの問題点は、その考え方ではなく、実行方法にあった。政府はリーマンの複雑な派生商品の帳簿を解きほどく衝撃を緩和するために、積極的に介入するべきだった。たとえそのために創造的な法律解釈や、金融システムを管理する新たな法律の制定が必要になったとしても、だ。確かにそうしたことを一晩でやるのは難しいが、警告は既に数多く発せられていた。リーマン破綻の6ヶ月前には、世界の信用市場がゆっくりと凍りつき、米国と欧州では不況が始まっていた。しかし、来るべきことに備えるためになされたことは無いも同然だった。


ならば、今の政策はどうか? この点についても、ロゴフの見方は厳しい。

So what is the game plan now? There is talk of regulating the financial sector, but governments are afraid to shake confidence. There is recognition that the housing bubble collapse has to be absorbed, but no stomach for acknowledging the years of slow growth in consumption that this will imply.


There is acknowledgement that the US China trade relationship needs to be rebalanced, but little imagination on how to proceed. Deep down, our leaders and policymakers have convinced themselves that for all its flaws, the old system was better than anything we are going to think of, and that simply restoring confidence will fix everything, at least for as long as they remain in office.


The right lesson from Lehman should be that the global financial system needs major changes in regulation and governance. The current safety net approach may work in the short term but will ultimately lead to ballooning and unsustainable government debts, particularly in the US and Europe.


Asia may be willing to sponsor the west for now, but not in perpetuity. Eventually Asia will find alternatives in part by deepening its own debt markets. Within a few years, western governments will have to sharply raise taxes, inflate, partially default, or some combination of all three. As painful as it may seem, it would be far better to start bringing fundamentals in line now. Restoring confidence has been helpful and important. But ultimately we need a system of global financial regulation and governance that merits our faith.


(拙訳)
では、今は何をなすべきか? 金融部門を規制しようという話はあるが、政府は信頼を揺るがすことを恐れている。住宅バブルの崩壊を受け止めなくてはならないという認識はあるものの、それに伴う消費の数年に亘る低成長を認める腹はできていない。


米国と中国の貿易関係を均衡させる必要があるという認識はあるものの、どうやって進めればよいかについての構想力に欠けている。心の奥底では、我々の指導者や政策当局者は、その欠点にも関わらず、古いシステムは、これから我々が考えつくどんな新しいシステムよりもましだと考えている。そして、単に信頼を取り戻せばすべてがうまく行く、少なくとも自分たちがオフィスにいる間は、と考えている。


リーマンの正しい教訓は、世界的な金融システムが、規制監督において大きな変更を必要としている、という点にほかならない。現在のセーフティネットの手法は、しばらくはうまく行くかもしれないが、最終的には政府債務を、特に米国と欧州で、維持不可能な水準まで膨らませてしまうだろう。


アジアは今のところは西側に出資してくれるかもしれないが、永遠というわけにはいかない。最終的に、アジアは自らの債券市場を発達させるなどして、別の選択肢を見い出すだろう。数年後に西側の政府は、税率の急速な引き上げ、インフレ、部分的な債務不履行、ないしその3つの合わせ業を強いられるだろう。そうした苦痛に満ちた未来よりは、今からファンダメンタルを規律を持たせるほうがはるかに良い。信頼を取り戻すことは助けになり、重要であった。しかし究極的に我々に必要なのは、信頼に値する世界的な金融の規制監督なのだ。


このロゴフ論説に飛びついたのが池尾和人氏で、上記の政治家が古いシステムに執着するという一節を引いて、以下のように書いている。

こんな風に考えたがる傾向というのは、根強くあって、日本でもやはりそうなんだろうね。旧リフレ派をはじめとして、「構造改革なんか不要だ。なぜならば、日本の古いシステムは、その欠陥にもかかわらず、われわれが検討しようとしているいかなるものよりもましだから。」という主張を実質的にしている(あるいは、信じている)輩には事欠かないからね。

洋の東西を問わず--池尾和人 – アゴラ

つまり持論のリフレ派批判*3に援用しているわけだが、これは些か我田引水が過ぎるように思われる。というのは、一つには、上記のロゴフ論説はProject Syndicateの8月分であるが、同じProject Syndicateの12月で、ロゴフはリフレ派と見紛うような主張をしているからだ(邦訳はこちら)。実際、池尾氏の盟友の池田信夫氏は、このロゴフの12月論説を厳しく批判している
もう一つは、ロゴフが欧米の政府債務を懸念しているのは、上述の通りアジアがその債権者となっていることが大きいが、池尾氏はその部分をそっくり削ぎ落として引用した上で、日本にとって人ごとではない、と述べている点である。日本国債の国内保有比率が高いのは、池田氏も指摘するところである


なお、Economist's ViewのMark Thomaは、ロゴフのリーマンに関する見方について、「しゃっくりと心臓発作」というのは喩えとして間違っている、と批判する。リーマンを救っていれば、事態の深刻さは幾分和らいだかもしれないが、しゃっくりに留まったとは思えないし、そう思う人はあまりいないだろう、と書いている。
またThomaは、皮肉っぽく

But the main thing I want to know is if he saying we should start balancing the budget and tightening monetary policy right now, at the trough of the cycle. It seems like that's the message at the end, but I must be reading it wrong.


(拙訳)私が本当に知りたいのは、我々が景気の谷底にある現時点ですぐに財政を均衡させて金融を引き締めるべき、と彼が言っているかどうかだ。最後の方はそのようなメッセージに読めるが、私の読み違いに違いない。

とも書いている。これは、ロゴフ論説に全面的に賛意を表した池尾氏にも当てはまる疑問と思われる。

*1:本エントリのタイトルが引っ掛けている意味についてはこのエントリの脚注参照。

*2:ロゴフは8/18のFTでも同様のことを書いている](Economist's View経由)。

*3:池尾氏は竹森俊平氏による批判が余程癪に障ったと見え、アゴラで繰り返し竹森氏やリフレ派を批判している。その批判には当を得たもの竹森氏もそれを受けて訂正したとの由)もあるが、一方で、上述のエントリのように、その内容に首を捻らざるを得ないものがある。たとえばサービス業の生産性向上をその問題点に触れることなく訴えている点や、小生がこのはてぶで指摘した点。