本石町日記さんのところでも取り上げられていたが、FRB議長人事を巡ってWillem Buiterがサマーズを叩いたのに対し、クルーグマンがサマーズ擁護の論陣を張った。
このBuiterのブログエントリは、Economics of Contemptというブログでも取り上げられ、Buiterの挑発的な言辞も鼻についてきた、彼のバーナンキ&サマーズ批判について眉を顰めざるを得ない、という主旨のことが書かれている(Economist's View経由)*1。
また、マンキューは、Buiterはジャネット・イエレンを支持した、というコメントだけを添えてリンクしている。
Buiterのエントリを読むと、彼のイエレン支持は、イェールの院生時代に、彼女がジェームズ・トービンの講義をまとめた「イエレン・ノート」に助けられた、という個人的な思い出も多分に寄与しているようだ。また、バーナンキの銀行監督は失敗したと評価した上で、試されて失敗した人よりも、まだ試されていない人の方が良い、というどちらかというと消極的な理由も挙げている。
イエレンについては、EconoSpeakのバークレー・ロッサーも支持を表明している。その内容が、また例によって彼独特の言い回しがあって面白いので、以下に簡単に紹介してみる。
- バーナンキは世界を救ったと思う。ただ、確かに批判されるべき点もあった(危機に気付くのが遅かった、バンカメがメリルを買収した時の一件、銀行救済の詳細、等々)。言ってみれば彼は傷物になっている。指輪物語で滅びの山でゴラムに指を食いちぎられたフロドのように。だから、西に引退する潮時ではないか。
- サマーズについては、彼よりはバーナンキの方が良い、という以外に言うことはない。
- イエレンについては、経歴、評判ともに申し分ない。
なお、クルーグマンは、サマーズ擁護エントリの中で、彼の1986年のRBC批判論文を古典的業績として挙げた。その論文の結論部を読んでみると、今日の状況に照らして示唆的なことが書かれているので、以下に引用しておく。
Even at this late date, economists are much better at analyzing the optimal response of a single economic agent to changing conditions than they are at analyzing the equilibria that will result when diverse agents interact. This unfortunate truth helps to explain why macroeconomics has found the task of controlling, predicting, or even explaining economic fluctuations so difficult. Improvement in the track record of macroeconomics will require the development of theories that can explain why exchange sometimes works well and other times breaks down. Nothing could be more counterproductive in this regard than a lengthy professional detour into the analysis of stochastic Robinson Crusoes.
http://www.minneapolisfed.org/research/QR/QR1043.pdf(拙訳)現在においてもなお、経済学者は、変化する状況に対する単一の経済主体の最適反応を分析することの方が、多様な主体が相互作用して得られる均衡を分析することよりも、はるかに得意である。この不幸な事実は、マクロ経済学が、経済の変動を制御・予測することのみならず、説明することにさえ困難を来たしている理由を明らかにする手掛かりとなる。マクロ経済学の成績を改善するには、交換過程がなぜある時はうまく働き、ある時は駄目になるのかを説明する理論の開発が必要になる。この点において、確率変動的なロビンソン・クルーソーの分析に経済学者が長期間さ迷い込むことほど非生産的なことは無い。
ちなみにこの論文「Some Skeptical Observations on Real Business Cycle Theory」は、ミネアポリスFRBのQuarterly Reviewの1986年秋号に掲載されたもので、同じ号に掲載された「Theory Ahead of Business Cycle Measurement」というプレスコットの論文への批判になっている。その号には、さらに、ロドルフォ・マヌエリ・ノースウエスタン大学准教授(当時)による両者の論争の解説、および、プレスコットによる再反論「Response to a Skeptic」も併せて掲載されている。
このサマーズ論文では、RBCについて以下の4つの問題点が指摘されている。
- パラメータは正しいのか?
- プレスコットは、家計が市場活動に割く時間は1/3だとしているが、1/6という報告がある。大人の半数強が働き、約1/4の時間を労働に充てるとすると、後者の数字の方が正しいように見える。
- プレスコットは平均実質金利を4%としているが、過去30年の平均は約1%。
- 労働供給の異時点間の代替弾力性のソースが不明。
- 日本は過去30年間に米国の4倍の実質賃金の伸び(8%近く)を示したが、プレスコットの効用関数が予測する労働供給の低下はデータには現れていない。また、医者や弁護士のような年齢と共に給与が大きく上昇する職業で、労働時間の変化がより急勾配だということを示すデータも無い。
- プレスコットの成長モデルは現実の描写として論外というわけではない。しかし、そのパラメータが、成長とミクロの観察によってしっかりと地面に括り付けられているというのは誇張も甚だしい。結わえ付けの緩いテントが風にはためいていると言った方が的確だろう。
- ショックはいずこ?
- 価格はどこへ行った?
- プレスコットは価格を無視している。たとえばケチャップの市場を分析する時に、ケチャップの価格を無視して数量だけを分析することが許されれば、解釈の自由度は大きく広がる。しかしそれは、需要ショックと供給ショックを区別できなくなることを意味し、経済学者がまともに取り合うべきものではなくなる。
- 余暇と消費が景気循環を通じて逆方向に動くことを示し、実質賃金が景気に連動しないことを示したルーカス=キング(1982)の問題を解決していないし、のみならず言及すらしていない。彼のモデルは賃金を無視して精緻化された。メーラ=プレスコット(1985)というプレスコット自身が関わった研究では、彼がここで取り上げた資産価格モデルが否定されている。価格抜きで一体どうして経済モデルが検証されたと言えるのか?
- 交換過程はどこへ行った?
- 交換メカニズムの部分的な崩壊が、ほぼ確実に景気循環の主要な原因であることをプレスコットはまったく無視している。
- 1929-1933年に米国のGNPは半減し、雇用も急減した。今日の欧州では、1970年以降雇用は増えておらず、多くの国で失業は5倍以上になった。これらの現象は、異時点間の代替や生産性ショックでは説明できない。ましてや、欧州の生産性の伸びが米国の2倍以上であったことを考えると猶更である。
- 米国の大恐慌や欧州の不況をもたらした要因が、通常の景気循環には影響を及ぼしていないと考えるのは馬鹿げている。
- 大恐慌のように交換メカニズムが崩壊した状況を、技術退歩による制約つきパレート最適であったと言うことも馬鹿げている。
- 伝統的なケインジアンの価格硬直性の説明は、確かに満足すべきものではないかもしれない。しかし、満足な説明が存在しないからと言って、交換過程の崩壊を無視するというのは、戦略として説得力に欠ける。
- 信用市場の崩壊が交換メカニズムの崩壊につながったという説明の方が、技術的ショックによるという説明よりもはるかに説得力がある。