フェリックス・サーモンのジャーナリスト向けブログ講座

最近、梅田望夫氏の例のインタビュー記事を皮切りに、日本のネット界を海外のそれと比較して嘆くエントリを目にするようになった。はてな界隈でも、ここのところ、econ2009氏やラスカル氏の休止宣言や、田中秀臣氏の慨嘆が見られた。


そうした中、ロイターのブロガー、フェリックス・サーモンが、7/10にタイムリーなエントリを上げたので、以下に拙訳で紹介してみる(The Baseline Scenario経由)。欧米のアルファブロガー(と言って良いと思う)の口から語られるブログ入門として、どなたかの何らかの参考になれば幸甚。

明日、南アジア・ジャーナリスト協会(SAJA)の年次大会のブロギングセミナーのホストを務めるのだが、そのオープニングのプレゼン用のメモを以下にご紹介*1


なぜブログを書くのか?


ブログをするには3つの理由がある。2つは良い理由だが、1つは悪い理由だ。


今日、ロイターのような巨大メディアコンツェルンから小さなスタートアップ企業に至るまで、多くの会社がブロガーを雇っている。給与も良く、もはやフルタイムのブロガーの給与とフルタイムのジャーナリストの給与に実質的な差は無い。仕事はきつく、生活を侵食するかもしれないが、自分自身のブログを与えられているという大いなる自由の感覚が得られる。たとえば、昨年の夏、私はベルリンで金融の崩落についてブログに書いた。ポートフォリオ*2は、私が良いブログを書いている限り、どこにいようが気にしなかった。


ブログはまた、人々に認められるとてつもなく良い方法だ。今では、もしフルタイムのブロガーとして雇われたいと思うならば、自分のブログを持っていることが必要条件となる。彼らはブロガーを雇いたいのであって、ジャーナリストを雇って、その人がブログも上手く書けることに賭けたいわけではない。大抵の場合、そうしたジャーナリストはブログが書けない。


ブログはまた、それ自身が独立したメディアの手段で、グーグル広告を載せることもできるし、何らかの広告ネットワークに加入して広告を売ってもらうこともできる。やる気があるならば、自分で広告を売っても良い。


だがそれは、本当は好ましいことではない。個人ブログの圧倒的大多数の広告収入は小遣い程度を超えることはないし、直接的な金儲けを目的としてブログを始めたら、いやになってすぐにやめてしまう可能性は非常に高い。


誰がブログを書くべきか?


簡単で短い答えは、もちろん、「誰もが」だ。しかしブログは難しいし、誰もが上手く書けるわけではない。もし書くことが得意でなかったら、もし自分の意見を見知らぬ他人と分かち合いたいと思わないならば、もしプライバシーが大事ならば――多分あなたはブログに向いていない。


それにブログをするべきでない立派な理由も幾つかある。ブログは時間をとても食うので、ブログの機会コストは非常に大きい。もし元々ブログやニュース記事をたくさん読んでいるのならば、ブログ書きに費やす時間の限界費用は下がるかもしれないが、それでも馬鹿にならない。しかも、ブログはあなたをネット界に曝す。過敏な人には向いてないのだ。人々はあなたに対し公然ととても無礼な振舞いに及ぶだろう。もしそれが嫌ならば、ブログをしないことだ。また、極端な場合、ブログで職を失うかもしれない。ブロガーは組織人でない傾向が強いし、自分の思うことを非常にずけずけと言う傾向も強いし、安定した職を確保していないことも多い。(もちろん、良いブログを書いていたら、職を得る機会もある。コインには裏表があるものだ。そして今は良いブロガーは非常な売り手市場で、6桁の収入を得ているブロガーもかつてないほど多い。)


どこに書くべきか?


これは簡単。BloggerでもWordpressでもTypepadでもTumblrでもPosterousでも、あるいはそれ以外の数多ある無料のブログサービスのどれでも、とにかくサインアップして始めればよい。Salon.comが良ければそこでも良いし、似たようなところも他にたくさんある。もし既に集団ブログのコメントの常連になっているのであれば、そこが受け入れてくれるかもしれない。あるいは、そこそこ名前が売れているならば、HuffPoやTrue/Slantでも良いだろうし、他にもジャーナリストの記事をフィルタリングなしにオンラインに上げてくれる仕組みのサイトはやはりたくさんある。


金融や経済の分野ならば、Seeking Alphaにサインアップするのが簡単だ――個人ブログと連携させるも良し、そこで自分のブログをセットアップするも良し。自分のエントリを上げる場所を見つけるというのは、簡単な話なのだ。エントリの中身が人々が読みにきてくれるかどうかを決めるのであって、ブログの場所ではない、というのが本当のところだ*3


いつブログを書くべきか?


いつものことながら、量と質の間にはトレードオフがある。質を落としてたくさん書くべきか、質を高く維持して少なめに書くべきか? 幸運なことに、この質問に対し、実証に基づく単純な回答を用意できるほどブロゴスフィアの歴史は十分に長い:もし選択を迫られたら、質より量を選ぶべし。個人的には嫌かもしれないが――実際私もそうだ――あまり頻繁にブログを更新しないとても優れたブロガーがいたら教えて欲しいものだ*4


ブロガーというのは、多くの場合、自分の仕事については最悪の判断者である。個人的にも、とても良く書けたと思ったのにまるで注目されなかったエントリ、やっつけでさくっと書いたのに非常な反響を呼んであちこちに出回ったエントリの例を何百と挙げることができる。個人のブログエントリのレベルでは、ブロギングというのは、大抵の場合、宝くじみたいなものだ。もし籤を引き当てたいならば、買えるだけの数の籤を買うのが一番良い。


個人的には、この事実はあまり嬉しくない。しかし、事実は事実だ。私自身は、RSSリーダー中の一つか二つの未読エントリしかないブログに引き寄せられる。だが同時に、ブログ界での成功はアウトプットの頻度に非常に直接的に比例することが実証済みであることも知っている。RSSがそうした状況を変えるのではないかと思ったが、変わらなかった。まあそういうことだ。それと、どの時刻に投稿した方が良いか、ということも考えなくて良い。人々はこちらの想定しない時にブログを読むので、とにかく書いた時点で投稿すべし。


何をブログに書くべきか?


ジャーナリストは自分の書いたものを非常に大切にし、あるいは互いに嫉妬する。私が2000年に最初のブログを立ち上げた時には、金融関係のことは書かないように注意した。ブログは私が無料で書くものであり、金融ジャーナリズムは対価をもらって書くもの、というわけだ。無料でインターネットで見られるようになったら、新聞や雑誌がどうしてそれを掲載したいと思うだろうか?


今から考えると、この戦略は完全に間違っていた。私の強みをアピールし宣伝すべきだった。自分が最もよく知っている分野のことを、できるだけ多く、できるだけ頻繁に書くべきだった。それにもちろん、ブログを書くというのは、ほぼすべての対象について、優れた学習法なのだ。金融についてブログを書けば金融ジャーナリストとして向上するし、気候変動についてブログを書けば科学ジャーナリストとして向上するし、他の主題についても同様だ。


いかにブログを書くべきか?


ブログというのは会話だ。それは肝に銘じて欲しい。それは説教ではないし、ニュース記事でもなく、むしろパブでの議論、もしくは大学院ゼミでの議論に遥かに近い。愉快なものにもできるし、真剣なものにもできるし、怒りを込めることもできる。二言で済ませることもできるし、20,000語の長文にもできる。ブログは、注目を集めることも含めて、ほぼ自分の思い通りにできる。しかし声を持つということが特徴である。そのことは会話に必要な要素の一つだ。


会話の名手であるために必要なもう一つの要素は、良き聞き手であることだ。それはブログでも同じだ。かなりの部分、ブロギングとは書くことではなく、読むことだ。私はRSSリーダーに何百ものブログを登録しているし、グーグルアラートやその他のツールを使って他人が自分について何を言っているか把握しようとしているし、自分のブログのコメントを読むことに時間をかけているし、そしてもちろんたくさんの他のブログをむさぼるように読んでいる。ブロギングでは、私の場合は確実に、情報を統合することが大きなウエイトを占める。このニュース記事をあそこのブログエントリにつなぎ、物事の文脈を明らかにし、結びつける。私は多くの記事を書くが、書くよりも桁違いに多く吸収している。


私が良く言うのは、ブロガーとプロのジャーナリストの主な違いは、ジャーナリストはニュース記事を活動の終点と考える傾向があるのに対し、ブロガーはブログエントリを会話の出発点と考える傾向がある点だ。だから親切であることが重要なのだ。ジャーナリストはお互いの名前をクレジットすることを嫌うが、ブロガーはそれを好む。木曜日のFTに、その違いを象徴するようなブログに関する記事があった。冒頭で、「ある新聞の最近のコラム」について、特定しない形で取り上げていた。もちろんリンクも無い。ブログの場合は、反応する相手、引用する相手、引用するソースにリンクしなくてはならない。ジャーナリストは独占インタビューを好む。ブロガーはそうしたものに苛立つ。というのは、リンクができないからだ。PRマンがインタビューを私に依頼する時、私はまずインタビューされる側が自分の考えをブログに書いて、私がリンクできるようにしてほしい、ということだけを必ず言う。それが双方の利益になるのだ。


もう一つの親切であることの表れは、自分のブログにコメントを書き、他人のブログにもコメントを書くこと。それは自分を低めることでは決して無い。


そして、ジャーナリストにとって非常に困難な課題がある。それは、間違えろ、ということだ。私のもう一つのスローガンは、もし間違うことがなければ、面白くもならない、というものだ*5。ジャーナリストからブロガーに転じた人たちは、過ちに用心しすぎるきらいがある。そうすると、無味乾燥な、断り書きの多い文章になる。もしミスを犯せば、コメントや他のブロガーがすぐに教えてくれるので、取り消し線や追記によって、堂々とそのミスを修正できる。あなたが自分の言ったことを隠さず、自分の言うべきだったことを明らかにすれば、その点について尊敬を得るだろう。ジャーナリズムでは、書いたことがそのまま公の記録の一部になるし、いったん刊行されれば取り消して変更するのは非常に難しい。ブログでは、それが可能だし、また実際にすべきことなのだ(ただし隠微なやり方はNGだが)。


ここでまた別のスローガンを披露しておこう。「あるブログの質は個々のブログエントリにあるのではなく、ブログそのものにある」 メディアの業界団体がオンライン世界にも手を伸ばそうとして、ブロガーを対象にした賞を設定するということがしょっちゅうある。その際、決まって応募用紙に書かれているのは、自分のブログのベストエントリをいくつか挙げろ、というものだ。そしてそこに書かれたブログエントリが審査員によって読まれ、最優秀ブログが決められる。


これはもちろん馬鹿げたことだ。他の人たちにリンクをするだけの偉大なブロガーもいる*6。個々のブログエントリにはあまり価値はないが、全体としてみた場合、およびその編集の役割を考えた場合、価値は計り知れない。それに、ただ一つのブログエントリにしか注目しないということは、ブログというよりジャーナリズムの性格を帯びる。会話の要素が剥ぎ取られるからだ。最良のブログとは、最良の会話の口火となるものだ。ということは、ブログを審査する場合、(事後的に切り出されたいくつかのブログエントリではなく)ブログ自体を読むべきなのはもちろん、コメントも読み、そのブログにリンクした他者のブログエントリも読む必要がある。それがあまり現実的ではないのは認める。しかし、そうした試みがなされることが重要なのだ。


何をすべきでないか?


まず第一に、ブログを始めたジャーナリストが良くやること。ledesとnut grafsがきちんと揃った*7自己完結した美しいジャーナリスティックな文章を書き、リンクはほとんどない。お気に入りのブログで、そんなエントリが見つかるかどうか試してみれば良い。まず見つからないだろう。ブログというのはよりインフォーマルで、より洗練されておらず、より会話的なのだ。だからジャーナリストの学校で教わったことは忘れて、自分自身を前面に出すべし。


「投稿」ボタンを押すことを恐れてはいけない。あなたの書いたものすべてが良いということはないだろう。あるものは全然駄目かもしれない。そしてそれを大声で指摘され、気分の悪い思いをするだろう。しかしとにかく投稿しよう。パブで会話をしていたら、馬鹿なことを言う時もあるだろう。とにかく前へ進もう。面白いことに、自分が悪いと思ったことが、後から見て、とても良かったということが良くある。そしてその逆も良くある。


しばらく続けたら、面の皮が十分に厚くなるだろう*8。ただ最初のうちは、自分のブログのコメント欄、および自分のブログにリンクしたブログのコメント欄の何人かにイライラさせられるかもしれない。そこは禅の心構えだ。あるいは、コメント欄に人がいないことや、自分にリンクする人がいないことでイライラするかもしれない。虚空に向かって叫んでいるのではないか、と自問自答したくなるだろう。そこでも、禅の心構えだ。それと、ページビューに囚われないこと。それはあなたの記事がどれだけ広く出回ったかのあまり良い指標ではないし、あなたはCPMのためにブログをやっているわけではないだろう。ここでも、禅の心構えだ。そうしなければ、リスト形式の記事(listicle)などのリンクベイトに走ることになり*9、あなたのブログはくずとなる。


一夜での成功を期待してはいけない。機運を得るには時間が――大抵の場合、一年以上が――かかるものなのだ。それにもし自分が楽しんでいるならば、そうしたことは問題にならないはずだ。


自分で自分を検閲してはいけない。人々に自分の書いたものを読んで欲しいがためにブログをするわけだから、できるだけ読みやすくしてあげよう。メールで配信して欲しい人がいれば、メールしてあげよう。Seeking AlphaやHuffington Postで読みたい人がいれば、そこに投稿しよう。RSSリーダーで読みたい人がいれば、RSSフィードをフルに出すようにしよう。そしてあなたの書いたものをコピーして褒める人がいれば、喜ぶことはあっても、怒ってはいけない。あなたはブログを読まれるために書いているのであって、ページビューを稼ぐためにやっているのではない。


一番大切なことは、とにかく楽しむこと。もしブログを書くことが楽しくなければ、読む側も誰も楽しくない。だから、飛び込んで陽気にやろう!

*1:ジャーナリスト向けということで5W1Hをモチーフに書いているのはさすが洒落ている。

*2:当時のサーモンの雇用者。ここ

*3:日本の場合はどうだろうか。個人的には、はてなにセットアップした恩恵を随分受けているような気がするのだが…。

*4:日本だったら分裂勘違い氏の名前がすぐに思い浮かぶが…。

*5:ここで紹介した記事にもその文句は出てくる。

*6:Economist's Viewを念頭に置いている? cf.本石町日記さんのこのエントリ

*7:cf. ここ

*8:この辺りの話についてサーモンは、ここで紹介されている6/30エントリに書いている。

*9:サーモンはlisticleが嫌いだと以前言っていたことがあった。…と言いつつ、ここで紹介したような記事も書いているのだが…。