ガワンデ「医療費の謎」

23日のエントリには情報提供のコメントを幾つか頂き、感謝の至りである。小生はそれらについての見解を述べるほどの識見を持ち合わせていないので、とりあえず最初のkmoriさんのコメントにはクルーグマンが推奨したアトゥール・ガワンデ(Atul Gawande)*1のニューヨーカー記事を引用して応じさせていただいた。


その後いただいたコメントについても、このガワンデ記事において関連すると思われる記述が見られる。実際、この記事は、クルーグマン以外にも、The Baseline Scenarioでジェームズ・クワックが何回も言及して激賞している(ここここここ)。のみならず、オバマ大統領自身が必読リストに挙げたという。そこで、今日はこの記事の内容を簡単に紹介してみる。


この記事では、全米でメディケア費用がマイアミに次いで高いテキサス州のマッカレンを取り上げ、所得水準や人口構成がそれほど変わらない同州のエル・パソと比較しつつ、なぜそこまでメディケアの費用が高くなってしまったのかを分析している*2。結論としては、過剰検査や過剰治療が原因ではないか、ということである。
では、なぜマッカレンだけそうした過剰検査や過剰治療が多くなったかというと、倫理面の問題ではないか、という(非常に非経済学的な)説明をガワンデは提示している。つまり、マッカレンでは、諸々の事情により、医師が他所に比べてビジネス志向に走るようになってしまった、とのことである。
では、その諸々の事情とは何かというと、ガワンデは、クルーグマンの地理経済のように、歴史的経緯の偶然の積み重ねによるものではないか(たとえば、たまたまその地域の医療の重鎮たちが倫理観のある人物だったか否か)、と推測している。本ブログの23日のエントリへの2番目のコメントで名無しさんは、「専門職規範」を重視したR・フュックスの講演を引用されたが、その専門職規範がマッカレンではたまたま崩れてしまった、というわけである。そう考えると、問題はなぜマッカレンの医療費が高いかではなく、なぜ他の地域がマッカレンのように高くならないのか、というのがガワンデの指摘である。経済原理からすると、むしろマッカレンの方が自然ではないか、というわけだ。


なお、23日のエントリへの名無しさんの1番目のコメントでは、過剰医療は訴訟予防の働きがあるのではないか、という指摘があった。ガワンデの記事にも同様の指摘があったようで、彼はフォローアップ記事で、以下の点を挙げてそうした見方に反論している。

  • エルパソもマッカレンも共に、医療過誤訴訟の賠償金に上限を設けた2003年のテキサス州法の下にある。ある医師の話によると、実際に訴訟件数は減少し、そのための費用の上乗せも大きく減少したという。
  • 所謂「防衛医療」が、マッカレンで見られるようなペースメーカー装着や膝関節置換手術や頚動脈手術や冠動脈ステントや看護訪問の大幅な増加につながるとは考えにくい。
  • 自分の取材した範囲では、訴訟の恐れが手術の判断に影響すると話した医者はいなかった。


また、記事では、フリードマンが提案したような医療貯蓄口座、ならびにそれを通じて自分の身銭を切ることによる費用抑制効果については、ある心臓外科医の懐疑的なコメントを引用している。曰く、手術しようとしてる時に、バザールで絨毯を売る時みたいに価格交渉をするのかい? 血管3本で3000ドル、4本ならICUに一晩多く滞在できるというおまけをつける、みたいに? 誰がそんなこと考えたんだい? 羊に狼との交渉をさせようという案がうまくいくわけがないじゃないか。


ガワンデは、いくつかの成功例を引きながら、医療を医者個人ではなくチームとして取り組む、という方向に医療費問題の解決策を見い出している。そこで彼は、医療を家の建築に喩えている。建築業者に全体の監督を任せないで、配線業者や配管工や大工と個々に報酬ベースの契約を結んだらどうなるか? 家はコンセントと蛇口と棚であふれかえり、費用は予定の3倍かかり、しかも数年後には家は駄目になってしまうだろう。配線業者をハーバード大学出身者に置き換えても問題は解決しないし、費用を払う人間を代えてもやはり問題は解決しない。治療全体の責任者を置くことが必要であり、医療がそうした形態を取るような促進策を政府は進めるべきである、それが公的保険と民間保険のどちらが費用を負担するかの話より重要、というのがガワンデの主張である*3

*1:cf. 著書が邦訳されている。

コード・ブルー―外科研修医救急コール

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*2:2006年の費用はマッカレンが14,946ドル、エルパソが7504ドル。

*3:最近クルーグマンブログop-edオバマが公的保険推進で弱腰を見せた、と批判したが、ひょっとするとオバマのそうした姿勢には、この記事の影響もあったのかもしれない。